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山中城 その4 [お城踏査]

山中城の続きです。

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山中城の入り口にある石碑です。

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旧東海道の石畳です。

山中城の中を通っています。

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袋崎出丸です。

旧東海道を挟んで南側に出丸が築かれています。

出丸とは言ってもかなり広い曲輪です。

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説明です。

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出丸の堀です。

障子堀になっています。

障子堀は後北条氏の築城技術と言われますが、近年では、他の地区でも使われていることがわかっています。

豊臣氏の大坂城でも使われていました。

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出丸の先端はすり鉢状になっています。

珍しい形態です。

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出丸の堀です。

芝生が法面に貼られていますが、底の部分ははがれています。

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山中城は日本100名城です。

山中城は、中世城郭ですが、よく整備されていて、土の城を見るには最適です。

山城ですが、駐車場から近く、説明板も多くて、とても見やすい城です。

お城の初心者が行くにはお勧めです。

(終わり)

山中城 その3 [お城踏査]

山中城の続きです。

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本丸跡の説明です。

標高578m、山中城の中心です。

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本丸の最高所にある天守櫓の跡です。

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説明です。

説明によると一辺7.5mの基壇がありました。

かく乱されていて、礎石は確認できませんでした。

近世城郭のような天守ではなかったようですが、大櫓が建てられていたようです。

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本丸です。

本丸は階段状に郭が並んでいます。

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このような平場の郭です。

山中城の他の地区の郭とは縄張りが異なっています。

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本丸と北の丸を結ぶ橋です。

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本丸と北の丸の間の堀です。

ここはまだ整備されていない状態です。

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北の丸です。

郭の内部は整備されています。

土塁は新たに積まれたものです。

(続く)

山中城 その2 [お城踏査]

山中城の続きです。

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二の丸の虎口です。

堀には橋が架けられ、隣には櫓台があり横矢を掛けています。

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正面から見た二の丸の虎口です。

左手の櫓台が高く聳えています。

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二の丸の堀です。

これも障子堀です。

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二の丸虎口の説明です。

看板が経年劣化により薄くなり、読みにくくなっています。

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二の丸虎口から見た橋です。

虎口が桝形になっていることがわかります。

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本丸の虎口と橋です。

橋の架かる部分は堀が浅いです。

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橋から見た本丸です。

本丸の虎口は平入りです。

山中城は本丸など中心部に行くほどなぜか虎口が簡単になっています。

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本丸の堀です。

同じく障子堀です。

堀の法面はシャープです。

落ちたらとても這い上がれません。

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本丸堀の説明です。

(続く)


山中城@静岡県三島市 [お城踏査]

山中城は静岡県三島市にあった中世城郭です。

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旧国道一号線沿いにあります。

天正18年の豊臣秀吉の小田原城攻めに際して激戦がありました。

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三の丸の堀です。

きれいに整備されています。

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本丸の堀です。

堀の中に仕切りが見えます。

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同じく本丸の堀

堀の中央に仕切りがあり、さらに仕切られています。

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この堀は障子堀と言われます。

後北条氏の築城技術の特徴とされています。

堀の中の畝が障子のように見えるため障子堀と言われます。

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西の丸の障子堀です。

堀は発掘の成果を生かして整備されたものです。

この中に落ちたら這い上がれません。

堀の中の畝のため、堀の中での移動が妨げられます。

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西の丸の土塁です。

こちらも復元されたものです。

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西の丸の中には掘っ立て柱建物がありました。

表面表示しています。

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西の丸の櫓台です。

きれいに整備されています。

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西の丸の虎口です。

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西の丸から見た西櫓です。

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西櫓と言われていますが、実際には馬出でした。

後北条氏の多用した角馬出です。

実際には西の丸から西櫓に橋が架かっていましたが、復元整備ではそのように復元されず、西櫓は独立した曲輪として整備されました。

西櫓はどの曲輪とはつながっておらず、ここに立てこもった城兵が逃げ場がないので全滅するしかない縄張りになっています。

しかし、実際には西の丸とつながっていたので、この説明板ではつながっているように解説されています。

(続く)

富士・沼津・三島市博物館共同企画展 [お城情報]

少し前ですが、富士沼津・三島市博物館共同企画展「駿東・北伊豆の戦国時代」を見てきました。

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沼津市明治史料館の展示です。

駿豆争乱 国境の攻防です。

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史料館の前には江原素六の胸像があります。

麻布高校を設立したことでも有名です。

江原素六の祖先は江戸の初期に幡豆郡江原村(現西尾市江原町)の出で家康に仕えて関東に移ったとも言われます。

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三島市郷土資料館の展示です。

北条五代と山中城

写真は山中城です。

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袋城の図です。

静岡市にありました。

城主は北条美濃守氏規 家臣大見戸塚南條山中とあります。

半円形で特徴的です。

海に向かって虎口が開いています。


C58 [鉄道]

C58です。

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三島市に展示されています。

C58です。

Cというのは、動輪の数でCは動輪が3つと言う意味です。

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三島市の楽寿園に展示されています。

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運転席です。

沢山のバルブがあります。

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先頭には日の丸が掛けられています。

光長寺 [寺院]

光長寺は静岡沼津市にある寺院です。

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山門です。

別名仁王門です。

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仁王様と草鞋

大きな草鞋です。

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参道です。

両脇には塔頭が並びます。

光長寺は法華宗本門流の総本山です。

本山だけに大きな寺院です。

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本堂です。

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庫裏の玄関です。

唐破風です。

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境内図です。

これを見ても大きな伽藍だったことがわかります。

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塔頭の辻の坊には沼津城の城門が移築されています。

沼津城の移築門 [移築城門]

沼津城の門が沼津市内の光長寺に移築されています。

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これがその沼津城の門です。

意外と小さな門でした。

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門扉です。

こちらも新しそう。

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ここは光長寺の塔頭のひとつ辻の坊です。

説明によると沼津城の中庭の門を移築したようです。

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門は薬医門です。

柱の一部などは新しく、部材も変わっているようです。

小振りなのは伝承とおりに中庭の門だからでしょうか。

中庭と言う表現がいまひとつどこなのかわかりませんが、屋敷の門だったのかもしれません。

沼津城 その2 [お城踏査]

沼津城の続きです。

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川廓通りです。

沼津城の郭が由来となった川廓通りです。

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現在の川廓通りです。

近年整備されたものです。

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沼津城下の絵図です。

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近くに移築されている三枚橋城(沼津城)の石垣です。

発掘調査で確認されたものを移築しました。

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沼津市のマンホールです。

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三枚橋城の絵図です。

丸馬出と角馬出、内桝形虎口があります。

武田左馬助、真田安房守、今福浄園の名があります。

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別の三枚橋城の絵図です。

丸馬出と角馬出が書かれています。

しかし前の絵図とは丸馬出と角馬出の位置が逆になっています。

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別の絵図です。

こちらも城の形は違います。

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こちらは近世の沼津城です。

新たに築かれた別の城ですが、丸馬出と角馬出が同じ位置に作られています。

(終わり)

沼津城@静岡県沼津市 [お城踏査]

沼津城は静岡県沼津市にあった近世城郭です。

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石碑です。

本丸跡にあります。

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説明です。

沼津城の前身は天正7年(1579)に武田勝頼が築いた三枚橋城です。

慶長18年(1613)に廃城となりました。

その160年後の安永6年(1777)に水野忠友が沼津城を築城しました。

明治維新後に城は取り壊されました。

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本丸跡は現在中央公園になっていますが、城の面影は全くありません。

江戸時代のお城で近代に破壊されて遺構の残らない城は全国で長岡城、古河城、尼崎城、高槻城などがありますが、沼津城もこれらに負けていません。

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しかし、市内のあちらこちらに城の説明板などが建てられています。

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沼津城の絵です。

三重の櫓は天守です。

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沼津城の縄張りを現地形に投影したものです。

(続く)