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小牧山城発掘調査現地説明会 [発掘調査現地説明会]

小牧山城の発掘調査現地説明会に参加しました。

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説明会の様子です。

この日は雪の舞う寒い日でしたが、大勢の見学者が来ていました。

以前は1,000人の見学者が来ていたこともありましたが、雪もあって250人ほどでした。

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発掘箇所です。

ピンクのⅤ区の部分です。

主郭に至る通路の部分です。

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小牧山の模擬天守と発掘箇所の関係です。

思ったより下の部分でした。

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当日配られた資料による石垣の位置図です。

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堅い岩盤を垂直に削っています。

右方に入隅が見えます。

この下が通路で、ここで折れ曲がって登っていきます。

削った岩盤の上に石垣が一段見えます。

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永禄期(織田信長在城)の面です。

かなり埋まっていることがわかります。

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岩盤を削った跡です。

岩の性質によるのか、凸凹しています。

堅い岩盤のためきれいに整形することは難しかったようです。

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調査区の遠景です。

岩盤の垂直がわかります。

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垂直の壁が続いていることかよくわかります。

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西の方の調査区です。

同様に岩盤の上に石垣です。

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大手道はこんな感じに続いています。

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もう一つの入隅です。

ここからどのように上につながるのかよくわかりません。

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資料の復元図です。

この図によると入隅から一旦前に出で上に登ったようです。

色の付いている石が発掘によって確認されたもので、他の石は想定です。

こうしてみると小牧山城は、ほとんど総石垣の城ですね。

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発掘調査区の全景です。

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上の通路の様子です。

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発掘調査区の西隅です。

転落石もあります。

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小牧山南麓の復元土塁です。

かつては市役所がありましたが、移転により復元したものです。

来年度公開予定です。

雪が舞っています。

時折雪が降る、寒い中の現地説明会でした。

岐阜城織田信長館発掘調査現地説明会 その3 [発掘調査現地説明会]

岐阜城織田信長館発掘調査現地説明会の続きです。

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今回の発掘は3ケ所で説明会がありました。

金箔瓦の建物の後で見つかった第7の庭園です。

山から流れる水を受けていたようです。

この池から伸びる溝も見つかっていて、御殿の各所に配水していた可能性があります。

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石垣のとなりは大きな岩盤が露出しています。

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出土品です。

天目茶碗と水指(建水か)です。

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染付碗です。

出土品は少なめです。

御殿跡なので生活痕があるはずですが、廃城後に撤去されたのでしょうか。

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蹲踞(つくばい)です。

花崗岩製の手水鉢です。

池の中から出土しました。

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軒丸瓦です。

御殿の建物は瓦葺きではなく、杮葺きなどが多かったと思われますが、一部は瓦葺きだったようです。

以前は金箔瓦も出土しています。

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御殿の上を走るロープウェイです。

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ロープウェイの駅では戦国バサラのパネル展がやっていました。

明智光秀と竹中半兵衛です。

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織田信長のペットボトルです。

いざ岐阜入城と書かれています。

織田信長岐阜入城450周年のコラボ商品です。

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岐阜城山頂部の模型です。

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岐阜城の顔出し看板です。

人物のものは多いけど、天守のものは珍しいです。

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岐阜公園の門と信長像、後ろは岐阜城(金華山)です。

天守がかすかに見えます。

(終わり)

岐阜城織田信長館発掘調査現地説明会 その2 [発掘調査現地説明会]

岐阜城織田信長館発掘調査現地説明会の続きです。

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居館の主要部を下から見上げたところ。

裏込め石が散乱しています。

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信長居館である千畳敷の模型です。

中央部が主要部です。

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居館の主要部への入り口です。

礎石が確認されています。

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居館部から入り口を見下ろしたところです。

主な石材は撤去されていて、裏込め石が残るのみなので、とても分かりにくいですが、穴蔵状の通路を登ったようです。

巨石列というのが大きな石を使った石垣を想定しています。

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現地説明会の配布された資料から通路部分の模式図です。

通路を登ると巨石列があったようです。

突き当たると左に折れて登ります。

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この部分の御殿を復元したCGです。

二階の御殿が石垣の上に建てられていました。

中央の唐破風の下にあるのが、御殿への入り口です。

熊本城の本丸御殿に似ています。

闇り通路のようなイメージです。

御殿の一部は懸け造りになっています。

狭隘な地形を有効利用するための工夫でしょう。

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居館のCGの全体図です。

発掘調査を行っても、御殿の明確な礎石はほとんど出土せず、CGはフロイスの記述などを参考にしたあくまでも想像図です。

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スロープの部分です。

スロープの途中で平たん部があり、踊り場だったのでしょうか。

兎に角破壊が激しく、不明確です。

岐阜城は関ヶ原合戦の前哨戦で落城して、御殿も焼け落ちたとされています。

江戸時代には御留め山として入山が禁止されていたので、廃城直後か明治以降に破壊されたようです。

地表の石材はかなり撤去されて、礎石もないほど表土も削られていたようです。

明治期にある程度石垣が残っていたならば、もう少し保存が図られていた気もしますが・・。

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裏込め石がほとんどなので、よく説明を聴かないとなかなか理解が難しい現場でした。

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スロープ部分です。

階段だったのか、坂だったのかは不明です。

(続く)

岐阜城織田信長館発掘調査現地説明会 [発掘調査現地説明会]

2月4日に開催された岐阜城織田信長館発掘調査現地説明会に行って来ました。

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もう何年も調査が続いています。

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この日も寒い一日でしたが、織田信長居館のネームバリューは高く、多くの歴史ファンが詰めかけていました。

今回は何か所も掘っていて、成果も出ていました。

まず、最初の発掘ヶ所です。

小川が流れる小渓谷を掘りました。奥の橋は後世のものです。

ここから渓谷に架かる橋脚の礎石が見つかりました。

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上から見た図です。

今までも渓谷に橋が架かっていたのではと想定されていましたが、考古学的にそれが確認されたことは今回が初めてです。

ただ、見つかったのは礎石1つです。

水路の中には景石と呼ばれる景観のための石もあったという説明でしたが、実際はどうなのでしょうか。

段部には石により段差が付けられていて、ここが小さな滝のようになり目を楽しませるようになっていました。

石垣はこの付近ではかなり破壊されていて、最下部のみでした。

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近くの石垣の様子です。

写真の右のほうが信長時代の石垣です。

比較的大きな石を使っていて、横目地が通っています。

その上の小さな石は後世のものです。

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織田信長居館のCG図です。

中央の橋が今回の発掘調査で確認されたものです。

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橋の部分のCGです。

廊下橋を復元しています。

京都の東福寺の通天橋をモデルにしていますが、あくまでも想像図です。

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先のCGで左側に描かれていた庭園付近です。

三重塔の下に巨大な岩壁がありますが、この下に以前の発掘で庭園が見つかっています。

この岩壁に滝を作っていたと想定しています。

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石垣の石は崩壊していましたが、裏込め石が見つかりかなりの高石垣だったことが判明しました。

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下部の石垣です。

大きな石を使った野面積みです。

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石垣の上部です。

表面の石は飛んでいますが、裏込め石が大量にあります。

後には大きめの石列があります。

今一つ関係性がよく分かりません。

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膨大な量の裏込め石です。

(続く)

善光寺南沢古墳発掘調査現地説明会 [発掘調査現地説明会]

発掘調査現地説明会に行って来ました。

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お城ではなく古墳です。

愛知県西尾市吉良町岡山の善光寺沢南古墳です。

この古墳は円墳かと思われていましたが、発掘調査の結果方墳であったことがわかりました。

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測量と発掘の成果です。

発掘は地形確認のためなので、石室は掘っていません。

この古墳は4世紀ころの古墳です。

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説明資料の墳丘の測量図です。

確かに方墳に見えます。

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発掘調査で見つかった埴輪です。

壺形埴輪です。

埴輪が古墳の裾などに並んでいたかは不明です。

岡崎城の発掘調査現地説明会 [発掘調査現地説明会]

岡崎城の発掘調査現地説明会です。

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菅生川端の石垣です。

堤防に埋まっていましたが、5メートル以上の高さの石垣が見つかりました。

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岡崎城の絵図です。

矢印が現場です。

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現場の拡大図です。

矢印のところです。

石垣が400mにわたり築かれていたのは日本一だそうです。

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説明会には広島大学の三浦正幸教授が説明を行ったためか、2000人の市民が見学に訪れました。

やはりお城関係は人気です。

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きれいに掃除をして検出した石垣です。

3ケ所の四角い突出部の横矢桝形が築かれていました。

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掘っていない場所の石垣です。

ほとんど埋まっています。




諏訪原城発掘調査現地説明会 [発掘調査現地説明会]

静岡県島田市にある諏訪原城の発掘調査現地説明会に行ってきました。

諏訪原城は天正元年に武田勝頼によって築城されました。

その後天正3年に徳川家康により攻め落とされ、牧野城と改名されました。

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諏訪原城の図です。

二の丸の前に5つの丸馬出があることで有名です。

今年は一番東の馬出、二の丸東馬出の発掘調査です。

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馬出内部から礎石が見つかりました。

礎石は2つで、間隔は1.6mでした。

内側の礎石は飛んでいましたが、おそらく門の大きさは1間程度です。

礎石からは藥医門と推定されます。

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堀底のトレンチです。

堀は薬研堀でした。

かなり埋まっていました。

深さは7.5mでした。

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説明会の様子です。

学芸員のHさんが説明していました。

島田市の学芸員さんも女性です。

大勢の見学者がいました。

遠くは大阪東京都栃木県来ていました。

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東馬出内の土層です。

二時期が確認されました。

下層が武田氏時代、上が徳川氏です。

考古学的に見ると、馬出は徳川氏によって改修されたことがわかります。

他に鉄砲の弾が多く見つかっています。

ここが激戦地だったことがわかります。

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二の丸東内馬出です。

ここもシートがかけられていて発掘されたことがわかりますが、特に説明はありませんでした。

諏訪原城の発掘調査は今年で終了して、来年からは報告書の作成や整備にとりかかるそうです。


桜井城の発掘調査現地説明会 [発掘調査現地説明会]

桜井城は愛知県安城市桜井町にある中世城郭です。

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発掘現場です。

堀のようになっているのは、雨のため水たまりになったものです。

堀ではありません。

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現場です。

井戸や土孔や溝が出ていました。

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現場の位置です。

赤い部分です。

城跡そのものではなく、隣接する場所です。

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現場の向こうに見える林が桜井城跡です。

現場からは、井戸跡が7基検出されました。

井戸の中からは遺物が見つかっています。

遺物の年代からは戦国期に使われていたことがわかりました。

この場所が居住地域というよりも、生産拠点であったという説明でした。

小牧山城発掘調査現地説明会 [発掘調査現地説明会]

愛知県小牧市の小牧山城で発掘調査現地説明会に行って来ました。

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発掘現場です。

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小牧山城は、永禄5年に織田信長が美濃攻めのに際して築城しました。

永禄10年に稲葉山城を攻め落とした後は、美濃に移り岐阜城と改名しました。

その後は小牧山城は廃城になりました。

天正12年の小牧長久手合戦では、徳川家康の本陣となりました。

小牧山城は信長関係の城と言うことで、見学者はとても多かったです。

400人くらいは来ていました。

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説明をする小牧市教育委員会のO女史です。

女性の学芸員さんは最近多いですね。

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発掘調査の資料です。

今回は主郭の虎口を発掘しました。

主郭は古絵図には2つの虎口が描かれていましたが、発掘調査で2つ見つかりました。

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大手の虎口です。

石垣の裏込め石です。

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大手虎口の枡形です。

絵図では桝形に入ると左に曲がるように描かれていましたが、掘ってみると右に曲がっていることがわかりました。

虎口の上には、天正期に家康によって盛り土されていました。

発掘前には完全に埋められていてわかりませんでした。

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永禄期の地表面です。

永禄期は織田信長が小牧山城を築いたときです。

かなり盛り土をされていたことがわかります。

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搦め手の虎口です。

石垣が出ていました。

半分しか掘っていないので、片方の石垣は未検出です。

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礎石です。

搦め手門の礎石と思われます。

門がここにあったことがわかります。

礎石は一つしか見つかっていないので、門の種類はわかりません。

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搦め手口には側溝があったようです。

石垣は崩れています。

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搦め手口の下の石垣です。

石垣は下段だけで、上は崩れていました。

小牧山城の発掘調査は今後も続けられるようです。









岡崎城東曲輪発掘調査 [発掘調査現地説明会]

岡崎城東曲輪発掘調査です。

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数年前に復元された東曲輪の櫓の北を発掘しました。

東櫓の北になります。

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説明会のお知らせ

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全景はこんな感じ。

調査面積としてはそれほど広くはありません。

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石垣(奥)と石段(左下)が見つかりました。

かつては菅生曲輪から切り通しを上がり東曲輪に上る道がありました。

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調査区付近の岡崎城の絵図です。

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そのアップです。

中央の二重櫓が初めの写真の東櫓です。

その上の黒く囲ってある部分が調査区です。

絵図にも道が書かれています。

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石垣がきれいに出ていました。

江戸期の遺構の他に、それ以前の柱穴も見つかったそぅてす。

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下から見上げた東櫓。

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菅生曲輪からの切り通しです。

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切り通しの石垣。

今は塞がれていますが、かつてはこの部分から今回発掘された東曲輪に上がる通路がありました。

子細に見ると石垣の積み方が変わっています。
真ん中あたりから新しいので、この部分から積みなおされたのでしょう。

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