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鬼ノ城 その2 [お城踏査]

鬼ノ城の続きです。

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角楼跡です。

お城でいうと隅櫓です。

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日本の古代山城では初めて確認された施設です。

中国の城では「馬面」、朝鮮半島の城では「雉」にあたります。

城壁の一部を13mと4m四方の長方形に張り出しています。

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説明です。

角楼の下は石垣造りで、4m間隔で6本の角柱が石垣の間に建っていました。

角楼の上に建物が建っていたかは分かっていません。

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土塁です。

版築されています。

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土塁の一部は石垣になっています。

かなりの高石垣です。

古代の城とは思えない技術です。

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土塁は高く垂直に切り立っています。

奥の建物は西門です。

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土塁の上には塀が復元されています。

古代の城なので上部構造は不明なので、模擬復元です。

鬼ノ城はその名のとおり桃太郎伝説の鬼ヶ島のモデルと言われます。

岡山市には桃太郎伝説があります。

他にも愛知県犬山市にも桃太郎伝説があります。

(続く)

鬼ノ城@岡山県総社市 [お城踏査]

鬼ノ城は岡山県総社市にあった古代山城です。

きのじょうと読みます。

総社市の鬼城山に築かれています。

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遠景です。

標高397メートルの山上に築かれています。

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西門の遠景です。

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鬼ノ城の図です。

山頂に2.8キロにわたって石垣や土塁が築かれています。

鬼ノ城は、白村江の戦いで唐・新羅連合軍に敗北した後に、大和朝廷は防衛のために、対馬から畿内までに城を築きました。

水城、大野城、基肄城、高安城、屋嶋城、金田城などが有名です。

これらは日本書紀などの史書に記されていますが、鬼ノ城は史書に記載がない謎の城です。

発掘調査によると鬼ノ城は7世紀後半に築かれたとされています。

古代山城は、神籠石または、朝鮮式山城とも呼ばれていました。

一般的には、史書に記載のある城を朝鮮式山城、それ以外を神籠石と呼ばれていました。

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西の門です。

復元されたものです。

正面3間(12.3m)、奥行2間(8.3m)の大きな城門です。


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中央1間が門になっています。

開口部の床面は大きな石を敷いています。

その両側に6本の角柱が立ちます。

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城内から見たところです。

二階門です。

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1階部分の内部です。

中には入れません。

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西門は、12本柱で構成される堀立柱城門です

(続く)

足守藩陣屋 その2 [お城踏査]

足守藩陣屋の続きです。

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長屋門です。

一部二階になっています。

二階部分は蔵です。

これは明治時代に家臣の長屋門を移築されたものです。

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門の正面です。

まだ開館前で閉まっています。

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吟風閣です。

宝永5年(1708)、京都御所の普請を担当した足守藩5代藩主木下公定が残った建材を利用して建てました。

近水園の池に面しています。

吟風閣からは庭園が眺められます。

一部二階建てです。

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開館前でしたので、中は見れませんでした。

残念です。

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近水園から見た吟風閣です。

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近水園です。

5代藩主木下公定のころに築造されたと推定されています。

小堀遠州流の池泉回遊式庭園です。

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池には鶴島、亀島の2つの島があります。

木下氏はそれほど大きな大名ではなかったのにこれほど立派な庭園を造ったのは豊臣秀吉の親戚だからでしょうか。

格式を感じます。

そういえば、群馬県の小幡藩も小さな陣屋ですが、立派な庭園(楽山園)があります。

ここも織田家の陣屋で格式があります。

紅葉の頃はより美しいでしょうね。

(終わり)

足守藩陣屋@岡山県岡山市 [お城踏査]

足守藩陣屋は岡山県岡山市北区足守にあった陣屋です。

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陣屋入口にある石碑です。

木下家の陣屋です。

木下家定は杉原家定と称していましたが、実妹の寧々が豊臣秀吉の正室だったので、一族に列されました。

秀吉の出世に伴い、木下、羽柴、豊臣姓を許されました。

関ケ原合戦の時には2万5千石の姫路城主でしたが、寧々を守護して中立を守りました。

同じ石高で足守藩に移封されました。

家定が慶長13年に亡くなると長男勝俊と次男利房の二人に遺領を継ぐように命じられましたが、寧々が勝俊一人に相続させようとしたため領地を没収されました。

大坂夏の陣の後に家康に仕えていた木下利房が足守藩主に命じられ、以後明治まで続きました。

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陣屋の堀です。

コーナー部分です。

石垣で固められています。


左上に石橋が見えます。

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堀です。

陣屋の堀なので幅も狭く形式的なものです。

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足守藩陣屋の図です。

一重の堀に囲まれていました。

陣屋の東には庭園がありました。

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御殿の部分のアップです。

ほとんど失われていますが、一部残されています。

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陣屋跡です。

ほとんど更地になっています。

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幕末の嘉永4年に最後の藩主の木下利恭の奥方の住まいとして建てられたものです。

木下利玄の生家です。

訪ねたのが早朝だったので、まだ開館していませんでした。

開館しても中には入れないようです。

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建物の前にある門です。

絵図にはないので、建物の門として移築されたものでしょうか。

(続く)


高松城 その2 [お城踏査]

高松城の続きです。

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高松城の包囲図です。

高松城の北の山には羽柴秀吉軍が陣取っていました。

加藤清正、生駒市左衛門、宇喜多忠家、浅野弥兵衛、蜂須賀彦右衛門、堀尾茂助、黒田官兵衛などの名前が見えます。

南方には毛利氏が陣していました。

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水攻めの図です。

一面湖になっています。

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本丸と石碑です。

本丸の東は道路になっています。

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本丸は松林になっています。

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本丸と二の丸の間の堀です。

橋は後世のものです。

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三の丸です。

蔵のような建物は資料館です。

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水攻めのための堤防と本丸の高さの比較です。

本丸の高さは7m、堤防は8.4mでした。

堤防の上までで、1.4mの水没、実際にはぎりぎりまで水は来ないので、1mほどの水没でしょうか。

(終わり)

高松城@岡山県岡山市 [お城踏査]

高松城は岡山県岡山市北区高松にあった中世城郭です。

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香川県の高松城と区別するために備中松山城とも呼ばれます。

羽柴秀吉の水攻めでも有名です。

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三の丸跡です。

城の南口の要所にあたり川船を並べて舟橋をつくり、城外と結ばれていました。

発掘調査では堀や井戸が見つかっています。

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三の丸から本丸方向を望む。

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城の周囲は今でも湿地帯です。

秀吉が水攻めにした理由がわかります。

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本丸跡です。

天正10年に羽柴秀吉に水攻めにされた後にも改修を受けて存続しました。

関ケ原合戦後には旗本が本丸に陣屋を構えました。

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本丸にある清水長左衛門尉宗治の首塚です。

清水宗治は秀吉の高松城攻めの時の城主です。

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秀吉が高松城を攻めている最中に本能寺の変が起きました。

このことをいち早く知った秀吉は、城主清水宗治の切腹を条件に毛利氏と和睦を結びます。

清水宗治は船の上で切腹したと伝えられます。

(続く)

古渡城@愛知県名古屋市 [お城踏査]

古渡城は愛知名古屋市中区にあった中世城郭です。

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石碑です。

東本願寺名古屋別院の境内にあります。

遺構は何も残っていません。

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説明です。

天文11年(1542)に織田信秀は今川氏に備えるために築城しました。

東西140m、南北100mの平城で周囲に二重堀がありました。

天文17年に信秀が末森城に移ると廃城となりました。

以前に発掘調査が行われて堀が確認されています。

古渡城は織田信長がここで元服したと言われ、比較的知名度は高い城です。

城跡と伝えられる東別院は周囲より少し高くなっています。

東の下茶屋公演は古渡城の堀を利用したといわれる池もあります。

撫川城@岡山県岡山市 [お城踏査]

撫川城は岡山県岡山市北区撫川にある中世城郭です。

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堀跡です。

遠くに石垣が見えます。

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城跡は撫川城址公園になっています。

入口に門がありますが、城の門ではありません。

撫川知行所総門を明治に移築しました。

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横から見た門です。

本瓦葺きの薬医門です。

横から見ると城門にとしては柱が細く見えます。

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付近の地図です。

撫川城と庭瀬城とは近接しています。

同じ城の一部分という説もあります。

掘割が今もよく残っています。

かつては庭瀬港もあり、水運の発達した場所でした。

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説明です。

撫川城は永禄2年(1559)備中成羽城主三村家親が備前の宇喜多直家に備えて築きました。

羽柴秀吉の高松城攻めでは毛利氏の境目7城の一つと言われました。

その後は宇喜多氏の支配下となり、江戸時代には戸川氏が領しました。

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井戸跡です。

水はありません。

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主郭の土塁です。

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主郭から見た掘割です。

このような水路がよく残っていて、水郷のいい景観です。

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主郭の土塁です。

石垣と土塁が混在しています。

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門の前の堀です。

犬走りになっています。

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石垣です。

石材は大きなものを使っています。

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石垣の隅は算木積みを志向していますが、完全な算木にはなっていません。

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石垣には折れが見られます。

櫓台でしょうか。

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石垣は主郭の西側しかありません。

東は土塁です。

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太鼓橋です。

石でできた石橋です。

庭瀬城@岡山県岡山市 [お城踏査]

庭瀬城は岡山県岡山市庭瀬にあった中世城郭です。

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説明板です。

室町時代の末ごろに備中松山の三村元親が築きました。

芝場城とも言われました。

江戸時代には、宇喜多氏の家臣戸川肥後守達安が入り城下町を整備しました。

元禄12年に板倉氏が入り明治を迎えました。

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石碑です。

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もう一つの石碑です。

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城跡に建つ清山神社です。

板倉勝喜は板倉氏中興の祖重昌、重矩を清山神社に祀りました。

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庭瀬城の本丸です。

堀がよく残っています。

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庭瀬城の堀です。

水が豊富な土地で、水郷のような感じです。

吉田城 その4 [お城踏査]

吉田城の続きです。

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入道櫓の石垣です。

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入道櫓は建物は残っていません。

入道櫓は二重櫓でした。

石碑のみです。

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本丸表門脇の石垣です。

打ち込みハギできれいな積み方です。

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千貫櫓跡です。

ここは三重櫓がありました。

本丸門の脇にあり、千貫の価値がある櫓ということです。

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千貫櫓の石垣です。

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本丸の図です。

吉田城の石垣の石には刻印が刻まれています。

石を間違えないように石に彫られたマークです。

天下普請の城には刻印が多いですが、吉田城レベルの城では珍しいです。

名古屋城の残石を利用したとも言われています。

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千貫櫓にある刻印です。

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千貫櫓の石垣です。

二重になっています。

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同じく千貫櫓の石垣です。

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千貫櫓の絵図です。

石垣の端から控えて建てられていました。

石垣端には土塀が作られていたので、見ようによっては千貫櫓は四重櫓のように見えたことでしょう。

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本丸表門の隅石です。

算木積みになっていませんし、隅石が小さく感じます。

不自然な感じもします。

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本丸表門跡です。

石垣がよく残っています。

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二の丸御殿跡です。

(終わり)

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