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北金井城@三重県いなべ市員弁町 [お城踏査]

北金井城は三重県いなべ市員弁町金井町にあった中世城郭です。

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石碑です。

城の中にあります。

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土塁です。

遺構はよく残っています。

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主郭の虎口です。

両脇を土塁で固めています。

中世の城の遺構は写真を撮ってもわかりにくいです。

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主郭の前に建てられている看板です。

永禄2年に種村大蔵大夫高盛が築城しました。

永禄11年に織田信長に攻められて降伏して、信長の家臣となりました。

高盛の四男種村弾正左衛門秀政の長男種村千代次秀信が跡を継ぎました。

なぜ四男の長男があとを継いだのでしょうか。

信長の戦いのときに戦死してしまったのか、責任をとらされたのでしょうか。

しかし、結局天正4年に秀信は滝川一益に疑われて伊勢長島城に呼び出されて自害しました。

家臣は散り散りになりました。

どうしても種村氏を滅ぼしたかったようです。

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堀です。

説明によると北金井城は天正4年に廃城になったようですが、遺構を見ると堀に横矢がかかる新しい縄張りになっています。

おそらく小牧長久手合戦で使われたようです。

大井田城@三重県いなべ市 [お城踏査]

大井田城@三重県いなべ市大安町にあった中世城郭でした。

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石碑です。

城跡の麓に建てられています。

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堀跡です。

よく残っています。

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説明です。

大井田城は『員弁雑誌』によると栗田左衛門左の居城でした。

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城跡は梅林となっていて、公園として親しまれています。

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城跡に残る井戸です。

危険なため柵がされています。

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いなべ市のマンホールです。

いなべ公園の五重の塔と旧員弁町の花「さくら」がデザインされています。

伏屋城@岐阜県羽島郡岐南町 [お城踏査]

伏屋城は岐阜県羽島郡岐南町にあった中世城郭です。

もう一つの一夜城とも言われています。

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一夜城は織田信長が美濃の稲葉山城(岐阜城)を責めるために永禄年間に築いた墨俣一夜城が有名です。

豊臣秀吉(木下藤吉郎)が一夜で築いたために一夜城と呼ばれています。

ところがこの伏屋城が豊臣秀吉が築いた一夜城であるという伝承があります。

実際に伏屋城からは岐阜城は目の前です。

墨俣一夜城は少し距離があります。

こちらが一夜城というのも一理あるような気もします。

ただ、天正12年の小牧長久手合戦の時に秀吉は伏屋城に伏屋市兵衛に守らせました。

この時のことと信長の美濃攻めと混同しているかもしれません。

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伏屋城は宅地の中にあります。

城跡付近のみは藪になっています。

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土塁がL字状に残っています。

竹藪となっているのでとても分かりにくいですが、土塁がよく残っています。

笠松陣屋@岐阜県笠松町 [お城踏査]

笠松陣屋は岐阜県笠松町にあった陣屋です。

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陣屋跡は小公園になっています。

石碑や説明板があります。

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白壁が一部復元されています。

壁の前には陣屋の平面図があります。

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説明です。

笠松陣屋は江戸の初期寛文2年に美濃郡代名取平左衛門が築きました。

陣屋は幕末まで続きました。

美濃の幕府領の支配する役所でした。

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陣屋の絵図です。

多くの建物が建てられていました。

黒野城 その3 [お城踏査]

黒野城の続きです。

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黒野城の外堀です。

よく残っています。

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外堀の土塁です。

近年藪が伐採されてきれいになりました。

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説明板が建てられています。

土塁は上幅が3.8mありました。

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黒野城の絵図です。

左下が外堀の土塁が残っている個所です。

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溝となって残っている外堀跡です。

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本丸の堀です。

左は土塁です。

堀の大きさがわかります。

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広小路跡です。

町のあちこちに説明があります。

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二の丸跡です。

駐車場になっています。

碑の上にある◎は加藤氏の家紋です。

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加藤平内の屋敷跡です。

加藤貞泰の弟です。

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黒野城二の丸資料館という看板がありました。

個人のお宅を資料館としているようです。

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本丸にある滑り台です。

屋根には鯱が付けられています。

よく見ると屋根の下に加藤氏の家紋も入っています。

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岐阜市のマンホールです。

鵜飼がデザインされています。

(終わり)

黒野城 その2 [お城踏査]

黒野城の続きです。

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土塁です。

幅広い土塁です。

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北西櫓跡です。

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本丸には2つの櫓がありました。

北西櫓は12間×3間の張り出しの上にありました。

細長いので多聞櫓だったのでしょうか。

二層か三層の櫓が建てられていたと推定されます。

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南東櫓跡です。

7間×9間の張り出しがありました。

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黒野城の古絵図です。

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堀です。

折れが見られます。

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本丸の堀です。

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多賀神社です。

黒野城の北にあります。

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多賀神社の北に残る外堀です。

(続く)

黒野城@岐阜県岐阜市 [お城踏査]

黒野城は岐阜県岐阜市黒野にあった近世城郭です。

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堀跡です。

黒野城は岐阜市指定史跡です。

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堀と土橋です。

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土塁と石碑です。

土塁は高さ5.4㍍あります。

黒野城は近世城郭ですが、土塁作りです。

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本丸の説明です。

本丸は方形ですが、櫓台が張り出して横矢を利かせています。

黒野城は加藤光泰が築きました。

加藤氏は斎藤竜興に仕えていましたが、斎藤氏の滅亡後は織田・豊臣氏に仕えました。

甲斐府中城で24万石を領しましたが、朝鮮の役で陣没しました。

子の貞泰は幼かったため、領地を大幅に減らされて、文禄3年(1594)に甲斐より美濃黒野城に4万石で移りました。

関ケ原合戦では東軍に属して慶長15年(1610)に伯耆国米子城に6万石で移封となり、さらに伊予大洲城に移りました。

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本丸の拡大図です。


入口は升形虎口になっています。

北西と南東に櫓台がありました。

近世城郭ですが、天守は築かれませんでした。

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加藤貞泰公の顕彰碑です。

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黒野の町図です。

家臣の屋敷や城下町が整備されていました。

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黒野城の古絵図です。

本丸を中心に城郭があり、その周りに武家屋敷、それを囲む外堀がありました。

その外に町屋が作られました。

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黒野城の中心部です。

本丸と二の丸を中心に周囲に堀に囲まれた一族の屋敷が配置されています。

配置は求心的な縄張りではなく、群郭式であり、曲輪の大きさだけならば、城主の加藤貞泰と家臣の屋敷の差は少ないです。

しかし、本丸は高い土塁と櫓があり、家臣の屋敷より優位を保っていました。

重臣である加藤主馬助、加藤平内、加藤図書は一族です。

大身を一族で固めていたようです。


黒野城は江戸初期に短期間で廃絶したので、あまり知られていません。

城下町を整備して今の黒野の町を作りました。

しかし、地元では黒野城の見直しが進んでいます。

(続く)

川手城@岐阜県岐阜市 [お城踏査]

川手城は岐阜県岐阜市西法寺町にあった中世城郭です。

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石碑と説明です。

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美濃源氏は平安末期から鎌倉時代に美濃各地に土着した清和源氏の一族です。

光衡は源頼朝に従いね軍功を挙げて東美濃の土岐に土着して土岐氏と名を改めました。

その後土岐頼貞は中興の祖とされ、瑞浪市の一日市場に館を構えて美濃守護職となりました。

守護三代目の土岐頼康は美濃・尾張・伊勢三カ国の守護となり、川手城を築き移りました。

別名革手館

周囲に正法寺や八幡神社など多くの神社仏閣があり、以降11代守護が住みました。

戦国時代には斎藤道三が川手城を廃止して、稲葉山城に移りました。

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石碑です。

昭和28年に建てられました。

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川手城は、廃城になってから江戸時代には加納城の築城に石垣などが使われて今は石碑があるのみです。

現在は済美女子高校の敷地となっています。

鷺山城@岐阜県岐阜市 [お城踏査]

鷺山城は岐阜県岐阜市にあった中世城郭です。

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麓にある説明です。

標高68mの鷺山にありました。

鎌倉時代には佐竹常陸介秀義が築きました。

戦国時代には斎藤道三が隠居後にここに住みました。

跡を継ぎ稲葉山城にいた斎藤義龍と道三は戦い敗れました。

その後廃城になりました。

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山頂の石碑です。

字が薄くて読めません。

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山頂には平場がありますが、曲輪らしくありません。

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山頂の説明板です。

かなり字が薄くなっています。

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鷺山城からみた岐阜城(稲葉山城)です。

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鷺山城です。

山頂には城はなくて、山麓に築かれていた居館型の城ではなかったでしようか。

ふもとに神社があります。


岐阜城@岐阜県岐阜市 [お城踏査]

岐阜城です。

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岐阜公園の入り口です。

門は大きな薬医門ですが、岐阜城とは関係ありません。

門の前には織田信長の大きな銅像があります。

後の山は金華山、岐阜城です。

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金華山、標高300m、濃尾平野にそそり立つ山です。

美濃を制するものは天下を制す。

岐阜城を制するものは美濃を制す。

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岐阜城の模型です。

山城にもかかわらず石垣が使われています。

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岐阜城の縄張図です。

中井均氏の作図です。

険しい山のため、山上は狭いです。

織田信長は実際にこの狭い山上に住んでいたようです。

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山麓にある信長居館跡です。

現在も発掘調査が続けられています。

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岐阜城の顔出し看板です。

お城から出すのは珍しい。

今年は織田信長岐阜入城450年です。

岐阜は織田信長が命名しました。

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織田信長のペットボトルです。

これは欲しいですね。

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明智光秀と竹中半兵衛です。

戦国無双ですが、ここいうのはちょっと合わないですね。

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