So-net無料ブログ作成
検索選択
お城踏査 ブログトップ
前の10件 | -

砥石城 その2 [お城踏査]

砥石城の続きです。

IMG_8173.JPG

米山城から見た砥石城です。

米山城は標高734mですが、比高は130mです。

IMG_8176.JPG

砥石城です。

砥石城は標高789mです。

主郭は20m四方で比較的小さな曲輪です。

IMG_8175.JPG

説明です。

IMG_8177.JPG

砥石城の主郭です。

削平されただけで、土塁や虎口はありません。

IMG_8169.JPG

砥石城・米山城の古図です。

米山城、砥石城、本城、枡形城の関係がわかります。


武田信玄は、天文17年(1548)に砥石城の村上義清を攻めて、上田原の合戦で敗北します。

さらに天文19年に再度砥石城を攻めますが、大敗します。

これを砥石崩れといい、『勝山記』に、「この年の九月一日に信州砥石の要害を御除け候とて、横田備中守をはじめとして、随分衆千人計り討死なられ候。」と書かれるほどの大敗でした。

しかし、翌年、真田幸隆(真田昌幸の父)が調略を用いて、砥石城を落城させます。

その後、砥石城は、真田氏に与えられて、真田氏の本拠となりました。

真田丸の放映で舞台にもなり、有名になりました。

(続く)

砥石城@長野県上田市 [お城踏査]

砥石城は長野県上田市にある中世城郭です。

少し前に行きましたが、登山途中で足を痛めて断念したので、リベンジです。

IMG_8220.JPG

山麓から見た砥石城です。

右が砥石城で左が米山城です。

砥石城は、武田信玄の攻撃を二度まで防いだ城として有名です。

どんな堅固や山城かと以前から是非行きたいと思っていました。

IMG_8166.JPG

砥石城と言われますが、実際には本城を中心に、米山城、桝形城、砥石城の4つの城から構成されます。

米山城です。

IMG_8165.JPG

米山城の説明です。

米山城は砥石城の西南の峰続きにあります。

三段の曲輪から構成されます。

籠城の際に白米を馬の背に流して水があるように見せかけたという白米伝説もあります。

説明版は新しく、真田丸の放映に合わせて新調されたようです。

IMG_8167.JPG

曲輪が続く様子です。

山頂部はきれいに整備されていて、とても見やすいです。

(続く)

津山城 その4 [お城踏査]

津山城の続きです。

IMG_8139.JPG

天守の周囲にあった多聞櫓の跡です。

舗装で建物跡を示しています。

IMG_8140.JPG

7番門の跡です。

通行止めなっています。

IMG_8141.JPG

天守曲輪の入り口です。

IMG_8143.JPG

本丸から見た天守台です。

IMG_8146.JPG

津山城の縄張図です。

平山城で複雑な縄張りです。

多くの櫓が立ち並んでいたことがわかります。

IMG_8147.JPG

本丸には御殿がありました。

御殿の平面図です。

IMG_8148.JPG

御殿の大広間のアップです。

上段之間が皇帝の間と書かれています。

この上段の間は鈎上段になっていました。

これは聚楽第や伏見城、熊本城などの御殿にあった書院の形式で珍しいものです。

津山城の御殿の古さを物語ります。

IMG_8152.JPG

太鼓櫓の石垣です。

津山城は石垣が本当に立派です。

IMG_8153.JPG

備中櫓と石垣です。

IMG_8159.JPG

本丸に向かう階段です。

IMG_8160.JPG

津山城の絵図です。

多くの櫓があったことがわかります。

IMG_8161.JPG

津山城のCGです。

上は天守、その手前が備中櫓です。

高石垣の上に櫓が林立する様子がわかります。

IMG_8162.JPG

森忠政の銅像です。

IMG_8164.JPG

津山城天守のペーパークラフトです。

本物の天守が復元されることを望みます。

IMG_8149.JPG

津山市のマンホールです。

津山城の石垣と河童のデザインです。

(終わり)

津山城 その3 [お城踏査]

津山城の続きです。

IMG_8130.JPG

備中櫓の隣に土塀が復元されています。

平成18年に復元されました。

IMG_8120.JPG

土塀には狭間が切られています。

正方形は鉄砲狭間、長方形は弓狭間です。

IMG_8121.JPG

内側から見た土塀です。

控え柱が建てられています。

IMG_8123.JPG

天守曲輪への入り口の門です。

礎石がよく残っています。

IMG_8124.JPG

天守台の登り口です。

左は備中櫓です。

IMG_8126.JPG

天守台です。

この上に五重の天守が建てられていました。

IMG_8135.JPG

天守のCGです。

写真や指図を元に作りました。

IMG_8134.JPG

津山城の古写真です。

津山城の天守は史料も多く残るので、復元可能です。

市民からも望む声も多く、復元されるといいですね。

IMG_8127.JPG

天守台の入り口です。

中は穴藏になっていました。

IMG_8132.JPG

天守台から見た入口です。

穴藏がよくわかります。

穴藏とは地下室です。

IMG_8136.JPG

天守台から見た天守曲輪です。

IMG_8137.JPG

7番門です。

石垣が重なり合う図は流石です。

(続く)






津山城 その2 [お城踏査]

津山城の続きです。

津山城は、別名鶴山城です。

慶長8年(1603)に森忠政が18万石で入り、築城します。

森忠政は、森可成の息子で、森可隆、長可、蘭丸、力丸、坊丸の弟です。

忠政は、6人兄弟でしたが、忠政以外の5人は全員戦死しているという正に戦国のすごい兄弟です。

プライベートライアンもびっくりですね。

忠政は77棟の櫓が立ち並ぶ名城を築きました。

IMG_8154.JPG

備中櫓です。

横から見た図です。

IMG_8145.JPG

備中櫓は、平成17年に木造で復元されました。

二重櫓です。

IMG_8113.JPG

内部は見学できます。

狭間が見えます。

IMG_8114.JPG

備中櫓の内部は畳が敷かれていました。

通常の隅櫓は、倉庫などに使われるため、中は板敷が多いのですが、備中櫓は違いました。

津山城の本丸には御殿が建てられていました。

しかし、山上のため狭かったために、櫓を御殿の一部として使いました。

そのために畳が敷かれました。

IMG_8115.JPG

二階の部屋です。

御上段です。

城主の座る特別な間です。

櫓では珍しく天井も張られています。

IMG_8117.JPG

一階の部屋です。

床の間です。

櫓の中に床の間があるのは珍しい。

IMG_8118.JPG

入口付近です。

城内に対しても狭間があります。

IMG_8119.JPG

一部は天井が張られていないので、屋根の小屋組が見れます。

太い梁が使われています。

(続く)

津山城@岡山県津山市 [お城踏査]

津山城は岡山県津山市にある近世城郭です。

IMG_8110.JPG

切手門跡です。

津山城は平山城ですが、全山を石垣で固めています。

IMG_8111.JPG

太鼓櫓跡です。

津山城は石垣が本当に素晴らしいです。

IMG_8112.JPG

表御門です。

本丸に入る最後の門です。

櫓門がありましたが、今は石垣のみです。

IMG_8109.JPG

津山城の備中櫓です。

平成17年に復元されました。

写真や発掘調査の結果を参考に復元されたものです。

備中櫓の復元により、石垣だけだった津山城がより城らしくなりました。

(続く)

備中松山城 その8 [お城踏査]

備中松山城の続きです。

備中松山城は、その山の険峻さ石垣の立派さからマチュピチュを文字ってビチュマツとも一部のマニア間で呼ばれています。

IMG_8087.JPG

本丸の裏門です。

後ろの建物は天守です。

IMG_8088.JPG

二重櫓の後ろにある平櫓跡です。

IMG_8082.JPG

同じく九の平櫓跡です。

遺構がよく残っています。

IMG_8089.JPG

本丸の石垣と八の平櫓(復元)です。

IMG_8093.JPG

三の平櫓跡です。

IMG_8091.JPG

本丸と天守です。

IMG_8070.JPG

天守の古写真です。

明治の初期はこのように荒れ果てた状況でした。

いつ崩れてもおかしくない状態でした。

しかし、その後地元の方の努力により修理がされて残されました。

IMG_8092.JPG

二の丸の石垣です。

IMG_8096.JPG

この景色は何度見てもいいですね。

岩山に石垣が重なります。

IMG_8095.JPG

土塀です。

真ん中に線がありますが、そこより奥がもともとあった土塀で、手前が復元されたものです。

一見するとわかりません。

IMG_8100.JPG

備中松山城の測量図です。

山の上に巧みに曲輪を配置していることがわかります。

IMG_8106.JPG

備中松山城は麓から歩いても登れますが、山腹までシャトルバスも出ています。

ほとんどの人はバスで上ります。

険しい山なので山道も細くカーブの連続なので大きなバスで上ると冷や冷やです。

バス専用で対向車はいないのでいいですが。

備中松山城は何度来てもいい城です。

城下町も古い町並みが残り風情がありますが、今回は時間不足で回れませんでした。

(終わり)

備中松山城 その7 [お城踏査]

まだまだ続きます、備中松山城の続きです。

IMG_8061.JPG

二重櫓です。

こちらも現存で重要文化財です。

特別公開をしていました。

IMG_8063.JPG

一階の内部です。

公開は年に数日です。

IMG_8062.JPG

一階の出入り口です。

妻側に2ケ所作られています。

IMG_8065.JPG

二階の内部です。

天井は張られていません。

太い梁が目立ちます。

IMG_8067.JPG

鉄砲狭間です。

間隔が結構狭いです。

IMG_8068.JPG

屋根の小屋組です。

梁は太い材木が使われています。

梁は曲がった木材ですが、十分に強いものです。

IMG_8080.JPG

二重櫓の外観です。

二重櫓は四面の窓の数や形、石落としがすべて異なり、どの角度から見ても面白いです。

小さな櫓ですが、岩山に石垣を築いてその上に建てられています。

IMG_8084.JPG

二重櫓の北側です。

出入り口の引き戸が半分開いています。

IMG_8085.JPG

二重櫓の石落としです。

出窓と石落としが並ぶ様子がよくわかります。

IMG_8086.JPG

二重櫓を見上げたところです。

こちら側は城内になるので、出窓や石落としはありません。

(続く)

備中松山城 その6 [お城踏査]

備中松山城の続きです。

IMG_8033.JPG

天守の中です。

現存天守です。

柱も太いです。

IMG_8034.JPG

装束の間です。

城主の部屋で、切腹するための部屋とも言われます。

天守内から見た窓です。

窓は格子がはめられています。

IMG_8036.JPG

囲炉裏です。

天守の中に囲炉裏が残っているのは備中松山城のみです。

高い山の上にあったので冬は寒かったのでしょうね。

IMG_8045.JPG

出窓部分です。

窓は内側に突き上げ戸になっています。

遠くに狭間が見えます。

IMG_8046.JPG

鉄砲狭間です。

IMG_8038.JPG

二階への階段です。

IMG_8040.JPG

御社壇です。

社が祀られています。

IMG_8041.JPG

二階の屋根の小屋組みです。

梁も太いです。

天井は張られていません。

IMG_8043.JPG

階段の降り口です。

IMG_8052.JPG

落としです。

備中松山城の天守は実戦的なものなので、鉄砲狭間や石落としが備えられています。

IMG_8059.JPG

天守の窓と鉄砲狭間です。

鉄砲狭間は蓋がされていて、蓋が上にあげられている様子がわかります。

IMG_8064.JPG

二重櫓から見た天守です。

小さいながらも複雑な造りです。

(続く)

備中松山城 その5 [お城踏査]

松山城の続きです。

IMG_8023.JPG

いよいよ天守に入ります。

現存天守の12城のうち一つで、重要文化財です。

IMG_8025.JPG

二重と小さな天守ですが、高い山にあるので問題ありません。

大きな出窓が特徴です。

IMG_8029.JPG

出窓を横から見たところです。

落としも兼ねています。

IMG_8028.JPG

天守から見た本丸内です。

2つの平櫓が並びます。

備中松山城は高い山城なので櫓は平櫓が多かったです。

IMG_8027.JPG

天守の入り口です。

天守には直接入るのではなく、付櫓を経由して入ります。

IMG_8031.JPG

付櫓の内部です。

ここから階段を登って天守に入ります。

IMG_8032.JPG

天守の入り口です。

入り口はかなり狭いです。

厳重な構えです。

ここからいよいよ天守の内部です。

(続く)
前の10件 | - お城踏査 ブログトップ