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上田原古戦場 [歴史雑話]

上田原古戦場です。

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石久摩神社です。

ここに石碑があります。

上田原合戦は武田信玄と村上義清が天分17年(1548)に戦った合戦です。

武田信玄の数少ない負け戦でした。

武田氏は板垣信方など有力武将を失い、信玄自身も負傷しました。

村上義清とは天文19年にも砥石城を攻めたときにも負け(砥石崩れ)ており、信玄にとっては鬼門でした。

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石碑です。

日暮れだったので少し暗いです。

昭和44年に有志により建てられました。

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境内に説明があります。

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鳥居の隣にも古戦場の説明の碑があります。

地元ではかなり顕彰されています。

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石久摩神社の本殿です。

創立年代は不明ですが、上田原村の産土神で、文政10年に明神社から石久摩神社に改称しました。

祭神は、諏訪大明神、建御名方尊、大己貴尊、事代主尊です。

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神社の裏にある上田原合戦の無名戦士の墓です。

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近くには村上方の武将雨宮刑部の墓です。

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上田原合戦では、武田氏は板垣信方、甘利虎泰、才間河内守などが討ち死にしましたが、村上方も重臣の雨宮刑部、屋代源吾などが討ち死にしています。

武田氏が敗戦したとは言っても村上氏もかなり痛手を負いました。

(続く)

矢沢陣屋@長野県上田市 [お城踏査]

矢沢陣屋は長野県上田市殿城にあった陣屋です。

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仙石氏の陣屋でした。

仙石忠政の子の政俊の弟正勝が2千石で分地されて陣屋を築きました。

仙石忠政は豊臣秀吉の家臣仙石秀久の三男でした。

仙石秀久の秀吉の古参の家臣として順調に出世して讃岐国1国の大名となりましたが、天正14年に九州攻めの際の戸次川の戦いで敗戦のため秀吉から改易されました。

天正18年の小田原合戦では家臣と三男忠政とともに参陣して徳川家康に陣借りをして戦功を立てて、戦後に小諸城に5万国で復帰しました。

関ヶ原合戦では、秀吉恩顧の大名でしたが、東軍に属しました。これは小田原合戦の時に陣借りした恩があったためです。

しかし、この時秀久の次男秀範は西軍に属しています。
父に無断で西軍に属したとされていますが、真田氏が親子で東軍と西軍に分かれたように保険を掛けたとも言えるでしょう。
秀範は大坂の陣でも豊臣秀頼に属しています。

仙石氏は忠政の時に上田城に移封されました。

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石垣がよく残っています。

石垣の上に建つ蔵が櫓のように見えるので、迫力満点です。

まだまだこんな城があるとは驚きです。

日本はまだまだ広いですね。

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蔵の登り口です。

この辺りは石垣の積み方が新しく感じました。

後世に改修されたのでしょうか。

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内から見た蔵です。

矢沢陣屋は明治に廃止されて、門や御殿は取り壊されました。

現在は宅地となっています。

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入り口は枡形になっています。

矢沢城の麓にあります。