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正法寺跡 [寺院]

正法寺は岐阜県岐阜市正法寺町にあった寺院です。

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寺は廃寺になり今は石碑のみ残ります。

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説明です。

正法寺は、14世紀に美濃の守護土岐頼康によって川手城の北に建立されました。

15世紀には諸山(五山・十刹に次ぐ寺格)で、多くの塔頭と広壮な規模を誇りました。

明応4年(1495)船田合戦の時には戦場となり被害を受けました。

永禄4年(1561)に兵火にかかり焼亡してしまいました。

江戸の初めには加納城の築城のため土石が運ばれてほとんど消失しました。

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薬師堂です。

現在はこの薬師堂が唯一正法寺を偲ばせるものです。


名古屋城本丸御殿復元工事の現況 平成29年5月下旬 [名古屋城本丸御殿復元工事]

名古屋城本丸御殿復元工事の現況です。

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上洛殿です。

破風板の養生中です。

黒漆が見えます。

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湯殿書院です。

建て方が始まっています。

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本丸御殿復元工事の現場見学会が開催されました。

今回が最後の説明会です。

湯殿書院の様子です。

礎石の上に木材が置かれたところです。

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上洛殿の上段の間です。

前回の現場見学会と比較しても進行状況は遅く感じました。

壁工事は進んでいたようです。

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上洛殿の入側です。

大勢の見学者がいます。

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上洛殿の一の間から二の間を見ます。

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床下に設置された制震ダンパーです。

江戸時代のままの再建ですが、地震に備えた設備も備えています。

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二の間の天井の見上げです。

こうした光景が見えるのは最後です。

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二の間の床の間です。

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入側の部分の天井を見上げたところです。

屋根の小屋組が見えます。

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三の間の床板を張っているところです。

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床板も一枚一枚設置する位置が決められています。

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鴨居、内法長押など説明が書かれています。

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床の説明です。

根太、大引です。

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本丸御殿玄関の一の間と二の間の襖が撤去されていたので、虎の絵が広々と見渡せます。

今回は上洛殿のみの公開でした。

上御膳所の工事も進んでいるので、せっかくならば現場を公開して欲しかったですね。

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工事で使用する釘や鎹(かすがい)も展示されています。

釘も一本一本特注でわざわざ作られています。

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天守の木造復元の幟旗も建てられていました。

講演会&スペシャルトークイベント「戦国時代の掛川をディープに抉ぐる」 [お城情報]

お城のイベントの案内です。


講演会&スペシャルトークイベント「戦国時代の掛川をディープに抉ぐる」
日 時 2017年6月4日(日)14時~16時30分
場 所 大日本報徳社 大講堂(掛川市掛川1176)
定 員 250名(要申込)
参加費 無料
内 容
「井伊直親殺害の背景」小和田哲男氏(静岡大学)
トークショー
加藤理文氏(袋井市立周南中学校教諭・太田浩司氏(長浜城歴史博物館館長)
問合せ
掛川市観光交流課
℡0537-21-1121

川手城@岐阜県岐阜市 [お城踏査]

川手城は岐阜県岐阜市西法寺町にあった中世城郭です。

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石碑と説明です。

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美濃源氏は平安末期から鎌倉時代に美濃各地に土着した清和源氏の一族です。

光衡は源頼朝に従いね軍功を挙げて東美濃の土岐に土着して土岐氏と名を改めました。

その後土岐頼貞は中興の祖とされ、瑞浪市の一日市場に館を構えて美濃守護職となりました。

守護三代目の土岐頼康は美濃・尾張・伊勢三カ国の守護となり、川手城を築き移りました。

別名革手館

周囲に正法寺や八幡神社など多くの神社仏閣があり、以降11代守護が住みました。

戦国時代には斎藤道三が川手城を廃止して、稲葉山城に移りました。

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石碑です。

昭和28年に建てられました。

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川手城は、廃城になってから江戸時代には加納城の築城に石垣などが使われて今は石碑があるのみです。

現在は済美女子高校の敷地となっています。

鷺山城@岐阜県岐阜市 [お城踏査]

鷺山城は岐阜県岐阜市にあった中世城郭です。

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麓にある説明です。

標高68mの鷺山にありました。

鎌倉時代には佐竹常陸介秀義が築きました。

戦国時代には斎藤道三が隠居後にここに住みました。

跡を継ぎ稲葉山城にいた斎藤義龍と道三は戦い敗れました。

その後廃城になりました。

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山頂の石碑です。

字が薄くて読めません。

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山頂には平場がありますが、曲輪らしくありません。

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山頂の説明板です。

かなり字が薄くなっています。

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鷺山城からみた岐阜城(稲葉山城)です。

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鷺山城です。

山頂には城はなくて、山麓に築かれていた居館型の城ではなかったでしようか。

ふもとに神社があります。


岐阜城@岐阜県岐阜市 [お城踏査]

岐阜城です。

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岐阜公園の入り口です。

門は大きな薬医門ですが、岐阜城とは関係ありません。

門の前には織田信長の大きな銅像があります。

後の山は金華山、岐阜城です。

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金華山、標高300m、濃尾平野にそそり立つ山です。

美濃を制するものは天下を制す。

岐阜城を制するものは美濃を制す。

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岐阜城の模型です。

山城にもかかわらず石垣が使われています。

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岐阜城の縄張図です。

中井均氏の作図です。

険しい山のため、山上は狭いです。

織田信長は実際にこの狭い山上に住んでいたようです。

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山麓にある信長居館跡です。

現在も発掘調査が続けられています。

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岐阜城の顔出し看板です。

お城から出すのは珍しい。

今年は織田信長岐阜入城450年です。

岐阜は織田信長が命名しました。

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織田信長のペットボトルです。

これは欲しいですね。

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明智光秀と竹中半兵衛です。

戦国無双ですが、ここいうのはちょっと合わないですね。

城下町科研北関東研究集会「伝統的武家の城下町」 [お城情報]

お城のイベントの案内です。

すこし専門的な内容です。



城下町科研北関東研究集会「伝統的武家の城下町」
日 時 2017年6月3日(土)~5日 13時~16時30分
場 所 小山市立文化財センター小ホール(栃木県小山市中央町1-1-1)
定 員 300名
参加費 無料
内 容
3日
「中世東国の武家と在地基盤」峰岸純夫氏(東京都立大学)
「中世の町場と惣構」高橋修氏(茨城大学)
「発掘された宿と市 下古館遺跡」大澤伸啓氏(足利市教育委員会)
「古河公方領国の武家拠点と交通物流」内山俊身氏(茨城大学)
4日
「下野守護小山氏の拠点」江田郁夫氏(栃木県立博物館)
「小山氏城館の発掘調査」秋山隆雄氏(小山市教育委員会)
「小山城と城下の景観」鈴木一男氏(小山市教育委員会)
「下野における城下町の形成」齋藤弘氏(学悠館高校)
「常陸・下総における城下町の形成」宇留野主税氏(桜川市教育委員会)
「下野・佐野氏の城館と城下町」出居博氏(佐野市教育委員会)
「常陸の鎌倉街道と城下町」日毛君男氏(土浦市教育委員会)
「水上の鎌倉街道と城下町」額賀大輔氏(笠間市教育委員会)
「上野・真田氏の城館と城下町―岩櫃城と城下」吉田智哉氏(東吾妻町教育委員会)
討論・総括
コメント・司会 仁木宏氏(大阪市立大学)
紙上報告
「下野・宇都宮氏の城館と城下町」今平俊幸氏(宇都宮市教育委員会)
「下野・佐野氏の城館と城下町」関口慶久氏(水戸市教育委員会)
5日
現地見学会
祇園城下・鷲城下
問合せ
北関東研究集会事務局

西尾城@愛知県西尾市 [お城踏査]

西尾城は愛知県西尾市にある近世城郭です。

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本丸の丑寅櫓です。

三重櫓です。

木造で復元されたものです。

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樹が伐採されたので見やすくなりました。

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下から丑寅櫓がよく見えます。

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本丸の石垣です。

表門の脇です。

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二の丸の鍮石門です。

二の丸の正門です。

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二の丸の丑寅櫓の石垣です。

復元されたものです。

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姫丸門の跡です。

石碑のみです。

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西尾市歴史公園の案内図です。

国指定記念シンポジウム「水口岡山城」 [お城情報]

お城のイベントの案内です。

水口岡山城のシンポジウムです。

ほぼ毎年開催されていて、恒例です。


国指定記念シンポジウム「水口岡山城」
日 時 2017年5月28日(日) 13時~16時30分
場 所 碧水ホール(滋賀県甲賀市水口町水口5671)
定 員 300名
参加費 無料
内 容
「水口岡山城跡の魅力~歴史的価値と活用の可能性~」中井 均氏(滋賀県立大学教授)
「水口の礎を築いた城下町と宿場町」山村亜希氏(京都大学准教授)
シンポジウム「近世甲賀の起点 水口岡山城~現代に続く礎~」
コーディネーター杉原和雄氏(甲賀市文化財保護審議会会長)
パネリスト
中井 均氏(滋賀県立大学教授)山村亜季氏(京都大学准教授)小山剛氏 (一般社団法人水口岡山城の会会長)小谷徳彦氏(甲賀市教育委員会)
問合せ
甲賀市教育委員会
℡0748-86-8026

長浜城 その6 [お城踏査]

長浜城の続きです。

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長浜城の麓のガイダンス広場に再現された安宅船の実物大模型。

近くの車と比べるとその大きさがわかります。

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安宅船の説明です。

全長24m、幅約10mの大きさです。

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竪堀の説明です。

一曲輪の下より伸びていますが、ブッシュでよくわかりません。

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竪堀のイメージ図です。

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近くで見る安宅船です。

かなり大きいです。

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安宅船の模型の写真です。

戦国・江戸時代の軍艦です。

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現在地とあるのが安宅船のある位置です。

かつてはここも海で港でした。

田久留輪と言われていたようです。

長浜城は城山と呼ばれていました。

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長浜城は北条水軍の基地でした。

韮山城を守るためでもありました。

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長浜城の近くで天正8年に武田水軍と北条水軍との戦いがありました。

どちらが勝ったかはわかりません。

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北条氏の水軍の大将は梶原景宗でした。

梶原氏はもともとは紀州の海賊でしたが、北条氏に雇われていました。

梶原氏は大型軍船の建造と運用の専門家で、江戸湾での里見水軍との戦いでも戦果を挙げていました。

その功績で武田水軍に対抗するために長浜城に配置されました。

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ガイダンス施設にある発掘調査で見つかった石積です。

これはレプリカで本物はこの地下2mに埋まっています。

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長浜城の立体模型です。

わかりやすいです。

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長浜城の遠景です。

海に突き出している様子がわかります。

(終わり)