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矢沢城@長野県上田市 [お城踏査]

矢沢城は長野県上田市殿城矢沢にあった中世城郭です。

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説明です。

真田幸隆の弟矢沢綱頼の居城です。

矢沢家は諏訪神氏ゆかりの家です。

矢沢綱頼は真田氏の重臣となり、昌幸の子の信繁(幸村)が上杉景勝に仕えた時には、綱頼の子の三十郎頼定が供をしました。

天正13年の上田合戦の時には矢沢城を800の兵で守り、依田源七郎ら1500の軍勢を退けました。

矢沢氏は真田信之に従い松代に移り、仙石政勝の領地となりました。

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主郭には神社があります。

比高50mほどの山城です。

矢沢公園となっていますが、あまりきれいに整備されているとはいいがたいです。

看板もなく、登り口もわかりにくいですし、駐車場もないため、地元の方が犬の散歩などで訪ねるくらいでした。

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尾根続きには堀切がありますが、城は削平地を階段状に並べる構成で、徳川勢を退けたというほど、あまり要害堅固とは思えませんでした。

長谷寺 [寺院]

長谷寺は長野県上田市真田町長にある寺院です。

ちょうこくじと読みます。

真田家の菩提寺です。

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入口の石門です。

お寺とは思えない現代的な門です。

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真田家の菩提寺らしく門の上部には六文銭が刻まれています。

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本堂です。

本堂は新しいです。

長谷寺は曹洞宗の寺院で、天文16年(1547)に真田幸隆が建立しました。

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真田幸隆と子の真田昌幸の墓です。

小さい墓は幸隆の夫人の墓です。

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墓前に供えられたお賽銭です。

5円を6つ並べて六文銭にするのが真田流です。

流石。

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長谷寺の付近は、真田氏の本来の発祥の地かもしれません。

近くには山家神社があります。

また、山家の真田氏館跡があります。

この付近の道はとても細くて駐車場も無かったために立ち寄ることができませんでした。

真田町には真田氏の史跡があちらこちらに残されていて、飽きません。

真田氏本城@長野県上田市真田町 [お城踏査]

真田氏本城は長野県上田市真田町にある中世城郭です。

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真田氏本城という名のとおり、真田氏に関係する山城です。

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手前が堀切です。

その奥が本城です。

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説明です。

本郭は東西8.6m、南北37mの広さです。

南に高さ2mの土塁があり、北に二の郭、三の郭がありました。

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本郭です。

細長い形状がわかります。

松が生えていますが、よく整備されています。

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本郭の土塁です。

土塁上にも碑がありますが、かなり傷んでいます。

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主郭からみた土塁です。

高さ2mほどです。

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真田氏本城の縄張図です。

細長い尾根に本郭、二の郭、三の郭が一直線に並ぶ様子がよくわかります。

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本郭と二の郭の間の段差です。

1mほどでそれほど高い段差ではありません。

各郭の間は段差だけで堀切はありません。

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二の郭にある石積みです。

石垣ではなく石積というのが適切です。

土留めのために積まれたようです。

比較的小さな石が積まれています。

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真田氏本城と天白城、真田氏館の関係を示す地図です。

右が真田氏本城です。

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真田氏本城の遠景です。




横尾城・内小屋城@長野県上田市 [お城踏査]

横尾城は長野県上田市真田町にある中世城郭です。

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横尾城は別名を尾引城、または三日城ともいいます。

横尾采女正の城跡とされています。

山城です。

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山頂には秋葉神社があります。

時間の都合で登れませんでした。

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横尾城の麓には、内小屋城があります。

今は畑となり、特に遺構はありませんが、小高い丘となっていて、館には適した地形です。

横尾城と内小屋城の関係は不明ですが、館と詰めの城の関係だったかもしれません。

信綱寺 [寺院]

信綱寺は、長野県上田市真田町にあります。

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山門です。

立派な楼門です。

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本堂です。

信綱寺は曹洞宗の寺院です。

信綱寺はその名の通り真田信綱の菩提寺です。

本堂の屋根には真田家の家紋六文銭が書かれています。

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真田信綱、昌輝、信綱夫人の墓です。

中央が信綱、左が昌輝の墓です。

真田信綱は真田幸隆の長男です。

父の死後38歳で家督を継ぎましたが、天正3年(1575)に武田勝頼に従い、長篠合戦で弟昌輝とともに戦死してしまいました。

その後に真田家を継いだのが真田昌幸です。

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信綱の墓の説明です。

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信綱寺の黒門です。

陽泰寺 [寺院]

陽泰寺は砥石城(長野県上田市)の麓にあります。

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陽泰寺は曹洞宗の寺院です。

創建は古く白鳳時代と伝えられます。

白山を開いた高僧泰澄がこの地を訪れて、庵を結んだといわれます。

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本堂です。

陽泰寺は、海野氏の菩提寺です。

海野氏の墓があるということでしたが、よくわかりませんでした。

真田氏は海野氏の一族です。

砥石城の歴史の裏には海野氏の姿が見え隠れします。

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山門です。

立派な楼門です。

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砥石城下の集落です。

松代街道沿いの街並みです。

蔵造りの民家が並ぶ景観は風情があります。

タイムスリップしたみたいです。

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上田市のマンホールです。


砥石城 その5 [お城踏査]

砥石城の続きです。

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砥石城の水の手です。

比較的山麓近くにあります。

陽泰寺登城口から内小屋を経て本城に至る中間地にあります。

江戸時代の絵図にも水の手とあり、戦国時代から水の手として使用されていました。

今でも水が湧き出ています。

近くは平坦地が続き、屋敷などがあったと思われます。

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水の手近くに落ちていた石臼のかけらです。

生活痕があります。

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砥石城の麓は松代街道が通っています。

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その看板です。

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大手口の内小屋地区の堀です。

内小屋には居館や屋敷があったと推定されます。

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砥石城の入り口です。

中世城郭にしては大きな看板です。

これも真田丸の影響でしょうか。

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砥石崩れの大きな看板もあります。

武田信玄を破ったことは大きな誇りなのでしょうね。

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砥石城の山麓にある飯綱城跡です。

石垣が城を思わせます。

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現在は個人のお宅になっています。

(終わり)

砥石城 その4 [お城踏査]

砥石城の続きです。

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矢竹です。

砥石城には矢竹が生えています。

矢竹は合戦の際に矢に使うことができます。

自然に生えたものもありますが、植えられたものもあります。

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桝形城です。

砥石城の最上部にあります。

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桝形城は、城の入り口で折れ曲がっていて桝形状になっていたことからその名がつけられました。

ここが最高地点なので、一時はここが本城と言われていました。

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その虎口の様子です。

よく見ると桝形になっています。

砥石城のなかでは、はっきりとした虎口はここだけです。

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桝形城からみた真田郷の様子です。

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真田郷には真田氏本城、松尾城、天白城、横尾城などたくさんの城がありました。

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砥石城を構成する米山城、本城、桝形城の位置関係図です。

広い城域でした。

(続く)

砥石城 その3 [お城踏査]

砥石城の続きです。

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本城の大手口です。

砥石城は畑山、伊勢山、金剛寺の三方から登れますが、伊勢山からの登り口が大手口です。

伊勢山の山麓には居館がありました。

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陽泰寺への下り口です。

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本城跡です。

砥石城を構成する4つの城の中で最大の城です。

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虎口など主要部には石垣が使われています。

自然石を使っています。

高さはせいぜい2mほどです。

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本城の切岸です。

とてもシャープできれいです。

500年前の遺構とは思えないくらいきれいです。

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本城の主郭です。

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本城の説明です。

南から北に数段にわたる広い曲輪群からなります。

山上にしてはとても広い曲輪です。

居館や兵の駐屯地があったと思われます。

山上にここまで広い曲輪群がある城は珍しいです。

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広い曲輪が連なります。

なかなか壮大な景色です。

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空堀跡です。

砥石城は堀は少なく、曲輪が多い城です。

(続く)

砥石城 その2 [お城踏査]

砥石城の続きです。

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米山城から見た砥石城です。

米山城は標高734mですが、比高は130mです。

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砥石城です。

砥石城は標高789mです。

主郭は20m四方で比較的小さな曲輪です。

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説明です。

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砥石城の主郭です。

削平されただけで、土塁や虎口はありません。

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砥石城・米山城の古図です。

米山城、砥石城、本城、枡形城の関係がわかります。


武田信玄は、天文17年(1548)に砥石城の村上義清を攻めて、上田原の合戦で敗北します。

さらに天文19年に再度砥石城を攻めますが、大敗します。

これを砥石崩れといい、『勝山記』に、「この年の九月一日に信州砥石の要害を御除け候とて、横田備中守をはじめとして、随分衆千人計り討死なられ候。」と書かれるほどの大敗でした。

しかし、翌年、真田幸隆(真田昌幸の父)が調略を用いて、砥石城を落城させます。

その後、砥石城は、真田氏に与えられて、真田氏の本拠となりました。

真田丸の放映で舞台にもなり、有名になりました。

(続く)