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成羽陣屋 その2 [お城踏査]

成羽陣屋の続きです。

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御庫門です。

今は石垣だけです。

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御庫門の内部です。

桝形になっていたのでしょうか。

土塀は復元です。

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土塀の内側です。

武者走りになっています。

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武者走りの説明です。

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武者走りの断面図です。

武者走りとは土塀の内側のスペースで、武士が走ったことによります。

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石垣と土塀です。

なかなか壮観ですが、前に建物が建っているので、全体を見渡せませんのが、残念です。

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石垣です。

子細に見ると真ん中あたりで石垣が切れているのがわかるでしょうか。

左側の石の縦目地が通っています。

右側に石垣を積み増したことがわかります。

なお、後ろは成羽小学校です。

陣屋のこの部分は小学校になっています。

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蓮池です。

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石垣です。

隅は算木積みになっています。

左の門は作事門です。

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城下に残る成羽藩勘定所の遺構です。

鬼瓦には山崎氏の定紋の四ツ目結が見えます。

土壁の頑丈な造りの建物です。

(終わり)

成羽陣屋@岡山県高梁市 [お城踏査]

成羽陣屋は岡山県高梁市成羽にあった陣屋です。

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石垣がよく残っています。

作事門跡です。

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説明です。

成羽陣屋は、山崎氏5,000石の陣屋です。

万治元年(1658)丸亀から入った山崎豊治は、旗本交代寄合で、幕末まで領しました。

鶴首山麓に築かれ、東西270m、南北30mの大きな陣屋でした。

作事門、大手門、御庫門がありました。

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作事門です。

後ろの建物は美術館です。

陣屋の中は美術館が建てられています。

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美術館です。

斬新なデザインです。

左は大きな池が並びます。

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大手門です。

石垣は石材が大きく立派です。

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大手門は桝形門でした。

高麗門と櫓門の二つから構成されています。

城郭では多くありますが、陣屋で桝形門を備えていることは珍しいです。

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城内から見た大手門です。

桝形の石垣はかなり破壊されています。

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桝形内です。

石材が小さく、後世に積み直された可能性が高いです。

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大手門です。

後ろの山が鶴首山です。

(続く)


三村氏居館@岡山県高梁市 [お城踏査]

三村氏居館は岡山県高梁市成羽にあった中世城郭です。

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今は公園になっています。

東屋の下は井戸跡です。

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説明です。

天文2年(1533)に戦国武将三村家親が築きました。

三村氏は、家親、親成、親宣と続き、その後小早川氏、毛利氏、山崎家治と続きました。

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縄張り図です。

高さ4mの土塁に囲まれ、その外に堀が掘られています。

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堀跡です。

ほとんど溝です。

浅尾陣屋@岡山県総社市 [お城踏査]

浅尾陣屋は岡山県総社市門田にあった陣屋です。

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石碑です。

なかなか立派な石碑です。

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土塀です。

復元されたものです。

浅尾陣屋はそれほど有名な陣屋ではありません。

私も岡山に行くまで知りませんでした。

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説明板です。

蒔田氏の陣屋です。

藩祖蒔田広定は尾張国下津出身の豊臣恩顧の大名です。

関ケ原合戦で西軍に与したため改易となりましたが、浅野長政らの尽力で慶長8年(1603)に1万石で浅尾藩を立藩しました。

第2代藩主の定正は弟の長広に3,000石を分与したため、7000石の旗本になりました。

幕末の文久3年(1863)に蒔田氏は江戸市中警備の功績で、1万石に戻りました。

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浅尾陣屋の絵図です。

浅尾陣屋は小高い丘の上に位置します。

絵図でみてもわかるように、陣屋とは言っても1万石でかなり大きな規模でした。

現在は神社、山林、宅地となっていますが、山中に土塁や堀の遺構も残っています。

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本丸に建つ神社です。

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土塀の遺構です。

かなり崩れていますが、貴重な総社市の文化財です。

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同じく土塀です。

藪の中にあり、崩壊が進みます。

このままだといずれ崩壊してしまうでしょう。

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御殿の跡です。

現在は宅地になっています。

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藩校集義館の跡です。

浅尾陣屋は小さな陣屋ですが、石碑や説明板が多く、土塀も復元されるなど地元からは愛されているようです。

名古屋城本丸御殿復元工事の現況 平成29年3月下旬 [名古屋城本丸御殿復元工事]

名古屋城本丸御殿復元工事の現況です。

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左が上洛殿です。

破風板が漆の養生のためカバーがされています。

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上洛殿の屋根です。

杮葺の工事は終わっています。

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同じく上洛殿です。

きれいに杮が葺かれています。

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上洛殿の屋根です。

覆いは養生のためです。

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破風板はこのように黒漆仕上げになるので養生しています。

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黒木書院です。

屋根の軒の部分ができてきました。

見学通路からは遠いので、わかりにくいです。

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湯殿書院の建設予定地です。

まだ礎石が置かれているだけです。

建て方は来月でしょうか。

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第三期工事の平面図です。

上洛殿、上御膳所、黒木書院、湯殿書院が建てられます。

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西の丸から見た天守です。

西の丸は発掘調査しているので、樹が切られているのでこのアングルで見れるのは珍しいです。

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天守は耐震が弱いので東海地震で倒壊する危険があるのでそのむ注意が書かれています。

名古屋市議会の3月定例会で天守の木造再建の予算が可決されました。

木造再建が本格的に動き出しました。

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名古屋城の彼岸桜です。

染井吉野はまだ咲いていません。

鬼ノ城 その3 [お城踏査]

鬼ノ城の続きです。

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水門です。

少しわかりにくいですが、下に排水溝があります。

鬼ノ城は山上を城壁で囲んでいるため、城内にたまった水を配水する必要があります。

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石垣です。

きれいな切石で築かれています。

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水門です。

土塁の中を貫通しています。

1500年以上のものとは思えないくらいよく残っています。

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南門跡です。

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発掘調査で確認された門跡に柱のみを建てて整備しています。

南門は間口3間、奥行2間の規模です。

一辺55センチの巨大な角柱12本で構成される楼門です。

門の中には大きな石が敷かれています。

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平面図です。

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石垣です。

険しい山上に築かれています。

古代に良くこんな山の上に石垣を築いたと感心します。

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角楼跡です。

見晴らしは抜群です。

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西門と土塁です。

土塁の内側は敷石になっています。

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西門です。

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西門の入り口です。

城内側が高くなっています。

門を入ると正面に蔀があり直進できなくなっています。

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西門の二階には楯が並べられています。

なかなか壮観です。

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鬼ノ城の図です。

水色は池です。

山上にあるために水を確保するために池を何か所か作っています。

池からの排水するために水門があります。

(終わり)

鬼ノ城 その2 [お城踏査]

鬼ノ城の続きです。

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角楼跡です。

お城でいうと隅櫓です。

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日本の古代山城では初めて確認された施設です。

中国の城では「馬面」、朝鮮半島の城では「雉」にあたります。

城壁の一部を13mと4m四方の長方形に張り出しています。

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説明です。

角楼の下は石垣造りで、4m間隔で6本の角柱が石垣の間に建っていました。

角楼の上に建物が建っていたかは分かっていません。

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土塁です。

版築されています。

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土塁の一部は石垣になっています。

かなりの高石垣です。

古代の城とは思えない技術です。

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土塁は高く垂直に切り立っています。

奥の建物は西門です。

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土塁の上には塀が復元されています。

古代の城なので上部構造は不明なので、模擬復元です。

鬼ノ城はその名のとおり桃太郎伝説の鬼ヶ島のモデルと言われます。

岡山市には桃太郎伝説があります。

他にも愛知県犬山市にも桃太郎伝説があります。

(続く)

鬼ノ城@岡山県総社市 [お城踏査]

鬼ノ城は岡山県総社市にあった古代山城です。

きのじょうと読みます。

総社市の鬼城山に築かれています。

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遠景です。

標高397メートルの山上に築かれています。

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西門の遠景です。

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鬼ノ城の図です。

山頂に2.8キロにわたって石垣や土塁が築かれています。

鬼ノ城は、白村江の戦いで唐・新羅連合軍に敗北した後に、大和朝廷は防衛のために、対馬から畿内までに城を築きました。

水城、大野城、基肄城、高安城、屋嶋城、金田城などが有名です。

これらは日本書紀などの史書に記されていますが、鬼ノ城は史書に記載がない謎の城です。

発掘調査によると鬼ノ城は7世紀後半に築かれたとされています。

古代山城は、神籠石または、朝鮮式山城とも呼ばれていました。

一般的には、史書に記載のある城を朝鮮式山城、それ以外を神籠石と呼ばれていました。

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西の門です。

復元されたものです。

正面3間(12.3m)、奥行2間(8.3m)の大きな城門です。


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中央1間が門になっています。

開口部の床面は大きな石を敷いています。

その両側に6本の角柱が立ちます。

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城内から見たところです。

二階門です。

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1階部分の内部です。

中には入れません。

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西門は、12本柱で構成される堀立柱城門です

(続く)

足守城下町 [城下町]

岡山市北区にある足守藩の城下町です。

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古い町並みがよく残っています。

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城下町の風景です。

重厚な商家が並びます。

江戸時代にタイムスリップしたようです。

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武家屋敷の長屋門です。

長屋門だけで、屋敷は残っていません。

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家老の杉原家の武家屋敷です。

こちらの屋敷はよく遺構をとどめています。

長屋門、母屋、御成門、内蔵、土蔵が残っています。

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長屋門です。

立派な門です。

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御成門です。

藩主が訪ねる時に使う専用の門です。

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御成門には家紋が付けられています。

五七の桐紋です。

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屋敷の平面図です。

足守藩陣屋 その2 [お城踏査]

足守藩陣屋の続きです。

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長屋門です。

一部二階になっています。

二階部分は蔵です。

これは明治時代に家臣の長屋門を移築されたものです。

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門の正面です。

まだ開館前で閉まっています。

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吟風閣です。

宝永5年(1708)、京都御所の普請を担当した足守藩5代藩主木下公定が残った建材を利用して建てました。

近水園の池に面しています。

吟風閣からは庭園が眺められます。

一部二階建てです。

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開館前でしたので、中は見れませんでした。

残念です。

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近水園から見た吟風閣です。

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近水園です。

5代藩主木下公定のころに築造されたと推定されています。

小堀遠州流の池泉回遊式庭園です。

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池には鶴島、亀島の2つの島があります。

木下氏はそれほど大きな大名ではなかったのにこれほど立派な庭園を造ったのは豊臣秀吉の親戚だからでしょうか。

格式を感じます。

そういえば、群馬県の小幡藩も小さな陣屋ですが、立派な庭園(楽山園)があります。

ここも織田家の陣屋で格式があります。

紅葉の頃はより美しいでしょうね。

(終わり)