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考古学講座「扇谷上杉氏の城」 [お城情報]

2月もお城関係のイベントが多いです。


考古学講座「扇谷上杉氏の城」
日 時  2017年2月4日(土)
場 所 横浜市歴史博物館(横浜市都筑区中川中央1-18-1)
定 員  180名(要申込)
参加費 無料
内 容
10:10~ 発表 「糟屋城・丸山城」 松葉崇氏
10:50~ 特別講演1『扇谷上杉の築いた最前線の城~深大寺城』生田周治氏
13:00~ 発表 「茅ヶ崎城」 坂本彰氏
13:40~ 発表 「大庭城」 宇都洋平氏
14:25~ 特別講演2 『「大名系かわらけ論」の可能性を探る』 田中信氏
問合せ
横浜市歴史博物館
℡045-912-7777

名古屋城の移築門? [移築城門]

愛知県一宮市の妙興寺に名古屋城の門があると聞いて行きました。

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遠目に見ても立派な門です。

妙興寺の総門です。

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背景です。

立派な薬医門です。

説明によると名古屋城の門ではなくて、尾張藩の家老である成瀬家の屋敷の門でした。

成瀬家は犬山城主でした。

それはともかく貴重な遺構です。

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門扉です。

桁行6.7m、梁間2.7mの三間薬医門です。

堂々とした門です。

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潜り戸が付いています。

黒田城@愛知県一宮市 [お城踏査]

黒田城は愛知県一宮市木曽川町黒田城西にあった中世城郭です。

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今は公園になっています。

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冠木門がありますが、公園整備のため作ったものです。

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説明板です。

説明によると黒田城は明応年間(1492-1501)に相模国から尾張に入った五島光正が築いたのが始まりです。

天文年間に岩倉城の織田伊勢守が家老の山内盛豊を黒田城の城代としました。
弘治3年に山内盛豊は夜討ちにあい戦死します。

その後犬山城主の織田信清の弟が城主となるも永禄6年に軽海で戦死すると家老の和田新助が城主となるが、天正2年に伊勢長島の一向一揆で討ち死にして和田定教が城主となった。

天正10年には織田信雄の家臣の沢井雄重が城主となりました。

天正18年には尾張を改易となった織田信雄の後に一柳直盛が城主となります。

関ヶ原合戦後には家康の四男松平忠吉が入ると家臣の富永忠兼が入ります。

このように様々な城主が黒田城に入ります。

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しかし、黒田城主として最も有名なのは山内一豊です。

銅像です。

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やはり馬と一緒です。

妻のへそくりで買ったという名馬です。

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城主の澤井雄重の碑です。

黒田城の絵は想像図です。

犬山城に似ています。

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黒田城の石碑です。

愛知県が建てました。

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大正6年3月に建てられました。

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黒田城の絵図です。

名古屋市のほうさ文庫にあります。

本丸、二の丸が求心的に配列されて、近世的な縄張りです。

縄張りから見て澤井氏が城主の天正10年頃の縄張りでしょうか。

本丸には天守状の櫓台もあります。

重吉城@愛知県一宮市 [お城踏査]

重吉城は愛知県一宮市丹陽町重吉城戸にあった中世城郭です。

三井重吉城とも言われます。

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県道にある城跡の案内です。

どんな立派な城かと思います。

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城跡です。

遺構はたったこれだけです。

土塁の一部が残ります。

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石碑です。

尾藤源内重吉城跡と刻まれています。

石碑にあるように、大永年間(1521-28)に尾藤源内重吉が築城しました。

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城跡にはもう一つ石碑があります。

こちらは平成2年に一宮市観光協会が建てました。

小牧長久手合戦の時に徳川氏の陣城として利用されました。

苅安賀城@愛知県一宮市 [お城踏査]

苅安賀城は愛知県一宮市大和町苅安賀にあった中世城郭です。

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石碑です。

苅安賀城は浅井信濃守新八郎高政の居城でした。

浅井氏は織田信長の子織田信雄の家老となりました。

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城跡は現在自動車学校の敷地になっていて、遺構は全くありません。

石碑が建つのみです。

かつては、東西42間、南北32間の規模でした。

浅井氏は同じく家老の岡田重孝、津川義冬と共に織田信雄の居城の長島城に呼び出されて、三人とも殺されました。

これが小牧長久手合戦の始まりのきっかけとなりました。

浅井氏の後は森久三郎が城主となり、小牧長久手合戦の織田・徳川軍の拠点となりました。

天正18年の小田原合戦の時には、小早川隆景の兵が入っています。

陸田城@愛知県稲沢市 [お城踏査]

陸田城は愛知県稲沢市陸田町字丸の内にあった中世城郭です。

くがた城と読みます。

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今は田の中に石碑が建つのみです。

陸田古城址と刻まれています。

丸の内という地名が城跡を偲ばせます。

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石碑は昭和3年に建てられました。

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区画整理により完全に遺構は失われています。

陸田市左衛門が城主であったことしかわかっていません。

背後の鉄道はJR東海道本線です。

浅野城@愛知県一宮市 [お城踏査]

浅野城は愛知県一宮市浅野にあった中世城郭です。

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石碑です。

浅野長政公宅址の石碑です。

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浅野城は浅野氏発祥地です。

浅野長政の父が浅野長勝です。

長勝の幼女が木下家定の妹の寧々で、豊臣秀吉の妻となります。

浅野長政は豊臣家の五奉行の一人となります。

大正6年に浅野史跡顕彰会が組織され、城跡が公園として整備されました。

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堀跡です。

護岸工事されてきれいになっています。

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堀跡はほぼ全周残っています。

名古屋市近郊の城跡は開発により遺構が失われたものが多いですが、浅野城のように遺構がよく残る城は珍しいです。

浅野氏の子孫が大名となったため顕彰され、残されたのでしょうか。

とにかく一見の価値あります。

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浅野城付近の地図です。

2つの曲輪から構成される副郭の城館でした。

戦国末期の城です。

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土塁跡です。

公園化されているので低くなっています。

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井戸跡です。

寧々の水と書かれています。

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寧々(祢々)の歌碑です。

桑田忠親氏の筆によります。


浮野城@愛知県一宮市 [お城踏査]

浮野城は愛知県一宮市千秋町にありました。

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看板に以下のように書かれています。

『尾張塘叢』に「浮野村 古城 鴬ケ池城址傍ニアリ元三畝 三井 一ツ城址ニアリ今埋 村中二二」とあります。

鴬ケ池のほとりに城址がありました。

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浮野城の近くには浮野古戦場があります。

石碑や説明が建てられています。

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どちらかと言えば浮野城より古戦場のほうが有名です。

浮野古戦場のウグイス首塚です。

浮剕と書いてウグイスと読みます。

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古戦場の石碑です。

浮野古戦場は、永禄元年(1558)7月12日に織田信長が岩倉城主織田信賢と戦いました。

織田信長、織田信賢ともに3千余騎で、信長が勝利して、信賢勢の首級900余を討ち取りました。

その戦死者の首を埋めた首塚です。

大河ドラマ「おんな城主直虎」ダイジェスト展 [歴史雑話]

大河ドラマ「おんな城主直虎」ダイジェスト展を名古屋鉄道の鳴海駅のコンコースで開催しています。

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「おんな城主直虎」は静岡県浜松市が舞台ですが、関係する地域でも便乗PRに必死です。

「真田丸」は上田市をはじめ沼田市、大阪市、和歌山など全国に広がっていますが、井伊直虎はほとんど舞台が静岡県内に収斂しています。

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主演の柴咲コウらのパネルです。

展示はパネルが中心ですが、出演者のサイン、鼓や笛などの小道具も展示されています。

鳴海駅で開催されたのは、第9回で放送される「桶狭間に死す」の近くだからです。

鳴海駅の近くには鳴海城跡や善照寺砦跡があります。

このダイジェスト展は、2月からは豊明市役所で開催されます。

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観覧無料です。

近くの人は訪ねてみてはいかがでしょうか。

名古屋城本丸御殿復元工事の現況 平成29年1月下旬 [名古屋城本丸御殿復元工事]

名古屋城本丸御殿復元工事の現況です。

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上洛殿の屋根です。

杮葺きの準備が進んでいます。

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上御膳所の屋根工事が進んでいます。

杮葺きの作業をやっていました。

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少し遠くてわかりにくいですが、黒木書院の足場が組まれていました。

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湯殿書院の予定地はまだ木材が置かれた状態です。

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第三期工事の平面図です。

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本丸御殿全体の平面図です。

左隅が三期工事です。

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第二期工事で完成した台所です。

台所だけは屋根の一部が本瓦葺きになっています。

後に見えるのは小天守です。

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名古屋城の古写真です。

本丸表門です。

後に天守の一部が見えます。

本丸は塁線の全体を多聞櫓が巡っていました。

明治以降も残っていましたが濃尾地震で倒壊してしまいました。

その後は本丸表門の高麗門と櫓門のみが残っていましたが、太平洋戦争で櫓門は焼失してしまいました。

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現在の本丸表門です。

高麗門と土塀のみなので淋しいです。

天守の木造再建よりも失われた門や多聞櫓の復元をして欲しいです。

復元すれば名古屋城の堅牢さが実感できると思います。