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常滑温泉 [温泉]

年の瀬に常滑温泉に行って来ました。

愛知県常滑市にあるセントレアのりんかい地区にオープンしたイオンモール内に常滑温泉マーゴの湯が先日オープンしたので、行って来ました。

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お風呂はアジアンリゾート風の「天空の湯」と和風の「潮風の湯」の二種類があります。

1週間ごとに水曜日に男女が入れ替わります。

12種類のバラエティ豊かなお風呂と、2種類の露天風呂が楽しめます。

ここの売りのひとつに天然温泉?の湯があります。

草津温泉の湯を再現した硫黄泉です。

イオンだけに硫黄ですね(笑)。

確かに硫黄の匂いがしました。

オープン直後でしたが、意外と空いていました。



これが今年最後の記事です。

今年もご訪問ありがとうございました。

今年はパソコンの不調のため一時更新が滞りましたが、パソコンを買い換えたので、来年はお城や鉄道などいろいろな記事をアップしていきたいです。

それでは、皆さん、よいお年をお迎えください。

佐伯城シンポジウム [お城情報]

佐伯城シンポジウムの案内です。

最近、本当にお城のシンポジウム多いですね。

多すぎて全部参加することは難しい。


と  き 平成28年1月24日(日)13時~16時50分(予定)
              (12時30分開場)
と こ ろ 佐伯文化会館大ホール

入 場 料 無料(申込不要・全席自由)

基調講演 宮武 正登氏(佐賀大学全学教育機構教授)

パネルディスカッション
   コーディネーター 豊田 寛三氏(別府大学学長)

   パネラー     宮武 正登氏(佐賀大学全学教育機構教授)

            小柳 和宏氏(大分県教育庁埋蔵文化財センター次長)

            佐伯 治氏(竹田市企画情報課参事兼エコミュージアム推進室長)

            小野 英治氏(佐伯史談会会長)

            福田 聡氏(佐伯市教育委員会社会教育課主任)
 
問い合わせ 社会教育課文化振興係 0972-22-4234
      佐伯市歴史資料館    0972-22-0700

白山平泉寺 その2 [寺院]

白山平泉寺の続きです。

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平泉寺には何百という坊院がありました。

その一部は発掘調査をされて復元されています。

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復元された土塀と薬医門です。

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薬医門です。

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坊院の説明です。

発掘調査の結果、内部の構造もわかってきました。

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屋敷地の中の水路です。

山の中なので排水設備も大切です。

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石垣です。

坊院は石垣で仕切られています。

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きれいな石畳が続きます。

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こちらは未整備の坊院の入り口です。

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整備されたのはほんの一部です。

復元されるとイメージしやすいですね。

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永遠と石畳が続きます。

本当に広いです。

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平泉寺の帰りに勝山城を見ました。

中には入っていません。

模擬天守です。



白山平泉寺 [寺院]

白山平泉寺は、福井県勝山市にあります。

平泉寺は、霊峰白山へお参りをするときの登り口に養老元年(717)に泰澄大師により建てられました。

平泉寺は、平安時代には延暦寺の末寺となりました。
その後、寄進などもあって次第に勢力を伸ばしました。

最盛期には48社36堂そして6千の僧坊、寺領9万石9万貫、僧兵8千人を要したといわれます。
白山信仰の拠点とし栄えました。

しかし、戦国時代の天正2年(1574)に一向一揆の兵火により全山が焼失してしまいました。

平安時代以来の神仏習合の伝統で神社と寺院が一体となっていました。

明治以降は神社として分離独立しました。

平泉寺と聞くとお寺のようですが、神仏習合の歴史の中で、今は平泉寺白山神社となっています。

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参道です。

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案内図です。

白山神社と平泉寺が隣り合っています。

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杉並木の続く長い参道を歩いていると厳かな気持ちになります。

森林浴にもぴったりです。

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白山神社の鳥居です。

鳥居は権現造といって、鳥居の中央に屋根がついている神仏習合の時代の独特なものです。

とても珍しく白山神社しかありません。

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拝殿です。

拝殿は、江戸時代につくられた寄棟檜皮葺で、平安時代の風情をよく残しています。

かつての焼失する前の拝殿は、46間(83メートル)の規模でした。
京都の三十三間堂より大きな建物だったそうです。

今もその当時の礎石が残っていて、大きさを偲ばせます。

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本社です。

寛政7年(1795)に福井藩主松平重富により再建されたものです。

総欅造で外観は白木造です。

内部は美しく彩色されているそうです。

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本社と別山社、大汝社の3つの社殿が並んでいます。

別山社は、天忍穂耳尊をお祀りしています。

大汝社は、大己貴尊をお祀りしています。

3つの社は白山を構成している3つの山を表しているといわれます。

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かつての白山平泉寺を描いた絵です。

その雄大な規模に驚きます。

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それを現代の地図に落としたものです。

ものすごく広大な地域に多くの建物がありました。





一乗谷朝倉氏遺跡 その3 [お城踏査]

一乗谷朝倉氏遺跡の続きです。

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一乗谷はその名前の通り、谷あいに作られた城下町です。

そのため谷の入り口に城戸を設けて防御しています。

今のその城戸の遺構が残っています。

堀と土塁です。

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土塁の内部です。

土塁の規模はかなり大きいです。

きれいに整備されています。

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城戸は枡形になっています。

以前は堀と土塁は残っていましたが、かなり荒れていました。

発掘調査により復元整備されています。

土塁には大きな石材の石垣が積まれています。

朝倉氏館には石垣は使われていないので、この城戸は朝倉氏の滅亡以降に後の勢力により改修されたという説もあります。

岐阜城山麓の織田信長居館の石垣を彷彿させます。




一乗谷朝倉氏遺跡 その2 [お城踏査]

朝倉氏遺跡の続きです。

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城下町地域には家屋が復元されています。

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商家です。

のれんが掛けられていて、何のお店かわかります。

染物屋です。

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染物屋の内部です。

大きな甕は、染料を入れるものです。

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米屋です。

米俵が積んであります。

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家屋の屋根は板葺きです。

落ちないように石が置かれています。

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街路です。

戦国時代にタイムスリップしたような雰囲気です。

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路地から侍が出ててきそうです。

発掘調査に基づいて復元されているので、リアイティがあります。

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復元武家屋敷です。

30m四方の規模で標準的な大きさでした。

主殿は6間×4間の大きさです。

北に納屋や井戸がありました。

発掘調査の成果と絵画資料に基づいて復元されました。

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屋敷の図の部分のアップです。

配置がよくわかります。

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武家屋敷です。

写真は納屋と井戸です。

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母屋と離座敷(左)です。

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トイレです。

4つあり、中央2つが大用で、外の2つが小用です。

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大用のトイレのアップです。

よくみると金隠しが今とは逆です。

入り口に向かって正面に座るようになっています。

これはトイレにいるときに敵に襲われたときに反対だと背後から襲われることを防ぐためです。

戦国時代ならではですね。


一乗谷朝倉氏遺跡 [お城踏査]

一乗谷は戦国大名朝倉氏の本拠です。

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発掘調査により判明した街並みを復元しています。

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まるで戦国時代にタイムスリップした気分になります。

ソフトバンクのCМのロケ地としても使われています。

両側に土塀が続く街並みです。

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街路は側溝を備えていて、都市計画されていました。

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一部の建物は復元されていました。
井戸と小屋です。

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建物の中には職人が作業をしている様子が人形で再現されているのでわかりやすいです。

将棋の駒を作っています。

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建物の外観です。

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寺院の門です。


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内部は発掘調査されて礎石などで遺構表示しています。

こちらは無建物は復元していません。

(続く)





一乗谷朝倉氏館@福井県福井市 [お城踏査]

一乗谷朝倉氏館は福井県福井市にあります。

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朝倉氏館の唐門です。

よく写真に出てきますが、朝倉氏当時のものではありません。

後に豊臣秀吉が建てた門です。

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雰囲気は出ています。

いい門です。

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越前朝倉氏は守護大名から戦国大名に変遷を遂げた数少ない大名です。

守護大名から戦国大名になったのは、朝倉氏、今川氏、武田氏、伊達氏など数えるほどしかいません。

それだけ厳しい社会でした。

朝倉氏館の堀です。

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庭園です。

意外と小さいです。

会所の前に庭園があり、朝倉氏頭首が連歌師などと連歌の会などを催しました。

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朝倉氏館の説明です。

館は10棟ほどの建物がありました。

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大きく二つに分かれていました。

ひとつは主殿や会所や庭園など接客を中心としたもの。

もうひとつは常御殿、台所、湯殿など日常生活の場でした。

この建物の構成は室町将軍の花の御所を習ったものでした。

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会所と庭園です。

会所も意外と小さいです。

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発掘調査により礎石が確認されて、それに基づいて表面復元されています。

仙石大名の居館のモデルとなるものです。

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居館の隅にある朝倉氏の墓です。

だれだったかなぁ。

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櫓台です。

土塁の隅に建てられています。

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朝倉氏館と背後の一乗谷城です。

戦国時代の城と町がそのまま残っています。


米子城シンポジウム「隠れたる名城 米子城-その価値と魅力に迫る-」 [お城情報]

お城のシンポジウムの案内です。

本当にお城シンポジウムは多いですね。

基調講演はお城博士の中井均教授です。

これは聞き逃せませんね。



米子城シンポジウム「隠れたる名城 米子城-その価値と魅力に迫る-」

平成18年に国史跡として指定を受けた米子城跡は、米子の歴史を物語る上で重要な史跡のひとつであり、また、本市の中心市街地の歴史的、景観的ランドマークでもあり、市街地に残された貴重な自然と緑のスポットとして、多くの米子市民をはじめ、本市を訪ずれる人々にも親しまれてきたものです。
米子市では、この貴重な国民的財産、そして郷土が誇るべき歴史遺産である米子城跡を文化財として適切に保存し、次の世代へ引き継ぐとともに、活用を図っていくことは大きな意義があるものと考えており、その整備に向けて、現在、保存活用計画策定のための測量や調査、米子城に係る情報発信等ソフト事業などに鋭意取組んでいるところです。
こうした中、市民をはじめ多くの方々に、米子城跡の価値や魅力について広く知っていただこうと、この度、米子城跡に精通し全国の城跡整備の実情等にも詳しい文化庁主任文化財調査官佐藤正知氏や滋賀県立大学教授中井 均氏をお招きしての講演会とパネルディスカッションによる標記シンポジウムを下記のとおり開催することといたしました。


1 日 時  平成28年1月23日(土)13:00~16:00(開場12:30)
   なお1月24日(日)には、フィールドワークとして米子城跡・城下町めぐりも企画。
     
2 場 所  米子市公会堂(鳥取県米子市角盤町2丁目61番地)

3 内 容
基調講演1
「史跡整備と活用らについて-米子城を活かす」佐藤正知氏(文化庁)
基調講演2
「米子城のここがすごい」中井均氏(滋賀県立大学)
パネルディスカッション
佐藤正知氏、中井均氏、金澤雄記氏(米子工業高校)、国田俊雄氏(山陰歴史館)
コーディネーター 中原斉氏(鳥取県埋蔵文化財センター)
問い合わせ
米子市文化課
電話0859-28-5438

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若江城シンポジウム-乱世を駆け抜けた城 若江城を探る [お城情報]

お城のシンポジウムの情報です。

最近は本当に○○城シンポジウムというのが増えましたね。

近世城郭だけではなく、ついに中世城郭まで。


若江城シンポジウム

とき 平成28年1月16日(土曜日)13時~16時30分(開場は12時30分)
ところ イコーラム(男女共同参画センター)大阪東大阪市岩田町4丁目3番22-600号
定員 244人(当日先着順)
内容
近畿大学教授の網伸也氏「歴史的拠点としての若江」
高槻市立しろあと歴史館の中西裕樹氏「城郭史から見た若江城の再評価」
八尾市立歴史民俗資料館の小谷利明氏「若江城はどのようにイメージされてきたか」
シンポジウム

問合せ先
東大阪市文化財課 06(4309)3283
ファクス06(4309)3835