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豪徳寺 [寺院]

豪徳寺は東京都世田谷区にある曹洞宗の寺院です。

もともとは世田谷城主の吉良政忠が建立しました。

江戸時代には彦根藩主井伊家の菩提寺となりました。

豪徳寺の寺名は井伊直孝の戒名である「久昌院殿豪徳天英居士」によります。

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入り口です。

大きな看板が目立ちます。

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参道が続きます。

両側は松並木の巨木が立ち並び、ここが都心ということを忘れます。

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山門です。

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仏殿です。

井伊直孝の娘・掃雲院が父の菩提を弔うため建てました。

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本堂です。

こちらは新しいです。

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庫裏の玄関です。

お城の御殿のような佇まいです。

佐倉藩堀田家の江戸屋敷から移築した建物です。

内部は非公開ですが、大名屋敷らしい建物です。

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寺務所の入り口には招き猫があります。

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招き猫の置物がいっぱいです。

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絵馬にも招き猫が書かれています。

豪徳寺と猫は深いかかわりがあります。

彦根藩主井伊直孝が猫に境内に招き入れられたために雷雨を避けることが出来ました。

そのために招き猫の発祥地ともいわれます。

彦根城のゆるキャラひこにゃんは実は豪徳寺の猫がモデルなのです。

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井伊家歴代の墓所です。

荘厳な眺めです。

再来年の大河ドラマ井伊直虎の子孫が彦根藩主の井伊家です。

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井伊直弼の墓地です。

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豪徳寺の三重塔です。



京王電鉄 [鉄道]

京王線です。

新宿駅から八王子を結んでいます。

今話題の高尾山行きもあります。

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9000系です。

京王線の最新車両です。


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京王線もステンレス車両です。

先頭車には昔の京王カラーが残っています。

昔のクリーム色の車体が懐かしい。

今でも山梨のローカル線で走っているそうです。

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7000系です。

京王線初のオールステンレス車両です。


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車体です。

パープルのラインが特徴です。

深大寺 [寺院]

深大寺は東京都調布市にあります。

天台宗別格本山です。

正式名称を天台宗別格本山浮岳山昌楽院深大寺といいます

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山門です。

深大寺周辺は東京都心の近くにありながら緑が多い場所です。

神代植物園が近くにあります。

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本堂です。

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玄関です。

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庫裏です。

旧の本堂でした。


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境内には池があり、深山幽谷を思わせます。

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境内図です。

かなり広いです。

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民芸品赤駒です。

万葉集巻第二十に記された『赤駒を山野に放し 捕りかにて 多摩の横山 歩ゆか遣らむ』という歌にちなんで作られました。

「ゲゲゲの女房」の中で、初めてのデートで訪れた深大寺で水木しげるさんが妻の布美枝さんにこの赤駒をプレゼントしたことから注目を集めました。

今は人気の民芸品です。

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門前には鬼太郎茶屋があります。

深大寺でゲゲゲの女房のロケが何回か行われました。
それを機に深大寺とゲゲゲの縁が深まりました。

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茶屋の近くの木の上にはキタローハウスがありました。

深大寺の近くの深大寺城があり、そこに行きたかったのですが、公園の中にあり、早朝は開園していなくて見れませんでした。
10時開園って遅くないですか。




京王帝都電鉄井の頭線 [鉄道]

京王電鉄井の頭線です。

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急行吉祥寺行です。

1000系です。

先頭のカラーリングは井の頭線らしさを醸し出しています。

井の頭線は渋谷から吉祥寺を結んでいます。

途中、下北沢で小田急と明大前で京王本線と接続します。

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井の頭線は運転距離は短いけど、渋谷と吉祥寺という繁華街を結び、下北沢や明大前という接続駅もあり、かなり利用者は多い。

井の頭線は、都心では珍しく狭軌のレールです。


江戸本所吉良邸跡 [歴史雑話]

吉良上野介義央の屋敷跡です。

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今は小さな公園となってひっそり残っています。

両国駅の近くです。

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中には吉良上野介義央の像があります。

これは吉良氏の領地である愛知県西尾市吉良町の華蔵寺にある義央の木造をモデルにしました。

これは義央自ら色を付けたといわれています。

義央は「よしひさ」と読みます。
以前はよしひさと呼ばれていた時期もありました。

忠臣蔵で有名です。もっとも最近の研究では、忠臣蔵は歌舞伎の演目なので、赤穂事件とか元禄事件とか呼ばれています。

吉良上野介は巷間で言われているほど悪人ではなくて、むしろ悪いのは浅野内匠頭のほうで、いい年をした大人が思慮分別もなく、殿中で刀を抜いて殺人未遂を行いました。

吉良氏は4000石の旗本ながら高家なので位は高く、浅野氏らを指導する立場にありました。
浅野氏がミスをすれば指導者である吉良氏にも責任が及ぶし、そもそも幕府の恥となるような間違った指導をするはずがありません。
厳しい指導をすることは当然でしょう。

一説には浅野内匠頭は精神的な病気であったともいわれています。

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屋敷跡にあった稲荷神社です。

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説明です。

かつては広大な面積でしたか、いまはほんの一部が公園となるだけです。

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中の様子です。

本当に狭い公園です。
でも逆に悪人との評判だったた吉良邸跡をよくここまで残してくれたと感謝したいです。

名古屋城本丸御殿復元工事の近況 平成27年10月下旬 [名古屋城本丸御殿復元工事]

名古屋城本丸御殿復元工事の近況です。

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御殿の素屋根に大きなクレーンが見えます。

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素屋根の撤去工事が始まっていました。

右は玄関です。

表書院の素屋根の解体をしていました。

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北側から見たところです。

解体が進んでいます。

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素屋根の壁がないので、中が見えます。

下御膳所です。

下御膳所と対面所はまだ屋根工事が完成していないので、素屋根の撤去は無理でしょう。

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今は玄関一の間で重要文化財の竹林豹虎図を展示しています。

よく見ると復元した襖の大きさと実物を比較すると本物のほうが小さく見えます。

これでは河村市長の言うように本物の襖を復元した御殿の建具として使うことはできません。

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いよいよ本丸御殿二期工事のカウントダウンが始まりました。

楽しみです。

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秋になりました。
名古屋城では菊花展を開催しています。

正門には尾張藩主徳川光友と妻の千代姫の菊人形が飾られていました。

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東門には初代藩主徳川義直です。

妻の春姫はありませんでした。

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場内では菊花展が開かれています。

大輪の菊が見事です。

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こちらの菊も見事です。


15センチカノン砲 [歴史雑話]

靖国神社の就遊館にある大砲です。

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旧日本軍の89式15センチカノン砲です。

加農砲と書きます。

昭和4年に作られました。

昭和4年が皇紀2589年なので、89式です。

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大きな大砲です。

沖縄戦で実際に使われたものです。

独立重砲第百大隊が使用して、首里付近で使われました。

沖縄戦では洞窟陣地に隠されて使われ、大きな威力を発揮しました。

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銃身には弾痕が残っていて、先頭の激しさを物語っています。


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96式15センチ榴弾砲です。

同じ15センチ砲ですが、カノン砲に比べて銃身が短く、迅速な移動が可能でした。

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この砲も野戦重砲兵第四中隊に所属して、沖縄戦の糸満市真壁で戦いました。

この大砲は、ノモンハン事件、フィリピンのバターン・コレヒドールの戦闘を戦った歴戦の大砲でした。

就遊館には、この他に、人間魚雷回天、97式中戦車、特攻兵器桜花、彗星、8センチ高角砲などが展示されていますが、これらは写真撮影禁止でした。

回天は人間が乗って敵艦に体当たりする一人乗りの潜水艦ですが、潜望鏡を出すと敵に見つかってしまうので、ほとんど目隠し状態で体当たりするもので、効果は少なく残酷な兵器でした。

また、桜花も人間が乗って体当たりするロケット兵器でしたが、一式陸攻の下に吊って敵艦の近くまで飛ぶために、その途中でほとんどが撃墜されてしまったそうです。







ゼロ戦52型 [歴史雑話]

靖国神社境内にある遊就館にゼロ戦が展示されています。

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ゼロ戦52型です。

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正式名称は零式艦上攻撃戦闘機です。

略してゼロ戦です。

ゼロというのは皇紀2600年に製造されたためです。

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後ろから。

なかなかうまく写真に納まりません。

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ゼロ戦は太平洋戦争初期には無敵でした。

その航続距離と身軽さからと強力武装の戦闘能力によるものでした。

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20ミリ機関砲です。

強力な武装でした。

当たれば一発で敵機を破壊できました。

しかし、初速が遅く、弾数が少ないのでパイロットには不評でした。

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ゼロ戦は航続距離と運動性能を求められました。

そのために犠牲となったのは防弾設備です。

パイロットの座席です。

丸い穴が空いているのは軽くするために抜いたものです。

そのために防弾機能はありませんでした。

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開戦当初は無敵だったゼロ戦もその弱点がわかるにつれ、馬力や武装で上回る米軍機の登場により次第に劣勢にたたされ、最後は特攻専用となりました。

成功体験からなかなか脱却できなかった日本の特性が表れています。


靖国神社 [神社]

江戸城の田安門の近くに靖国神社があります。

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大きな鳥居が目立ちます。

参道も長く広いです。

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参道には大村益次郎の巨大な銅像があります。

靖国神社は明治2年に戊辰戦争の戦没者の慰霊のために作られました。

それを進言したのが大村益次郎です。

また、陸軍の創設者でもあります。

そのため大村益次郎の銅像があります。

大村益次郎は長州藩の武士で戊辰戦争では大きな功績をあげますが、明治維新後に不満を持つ長州藩士に京都で襲われ、その傷がもとで死亡してしまいます。

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神門です。

おおきな建物で、参拝者は絶えません。

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本殿(拝殿)です。

今は太平洋戦争までの戦没者を祭っています。

祭神は英霊246万6千柱です。

一般の寺院とは違い、招魂社のため氏子はありません。

日本の神社の中では特殊な存在の神社です。



江戸城竹橋門 [お城踏査]

江戸城竹橋門跡です。

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石垣だけが残ります。

地下鉄竹橋門の近くです。
皇居と武道館の間くらいにあります。

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かなり破壊されているので、旧状がどんなだったのか、想像するのが困難です。

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説明板はあります。

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説明の中の竹橋門の古写真です。

高麗門と櫓門からなる枡形門でした。

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近くには半蔵門があります。

このあたりの堀は広いです。

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半蔵門のアップ。

門の前は堀が狭く浅くなっています。

半蔵門は一説には服部半蔵が守っていたからついた名とも言われます。

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近くの石垣です。

かなりの高石垣です。

隅の算木積みもきれいです。